福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

福聚講・今日の言葉

2018-09-27 | 法話
人は顔やカラダの汚れは、周囲に不快感を与えることを気にして毎日お風呂でゴシゴシ洗うのに、心の垢はめったに取ろうとはしません。垢に気が付きもしないと言った方がいいでしょう。身体に垢が溜まっていると人が迷惑する様に心の垢がたまっていると周りはもっと迷惑します。赤ちゃんを見るとよくわかります。赤ちゃんはまさに無垢の存在で垢がないので可愛くて皆寄ってきます。しかし年をとるにつれて心の垢が溜まってくると人は中々近寄ってこれません。
 だから、心の垢も体の垢同様、取らなければなりません。しかし心の垢もこびりつくとなかなかとれません。近所の道路の落ち葉を掃くことがありますが、何日も放っておいて落ち葉が堆く溜まると掃くことも難しくなります。先日掃いていて、これはわれわれの心の垢にも同じことがいえると思いつきました。小まめに毎日掃除をしていると掃きやすいように、われわれの心の垢も小まめに毎日掃除しているとこびり付く垢は少なくなり周囲に迷惑をかけることも少なるなるのではないでしょうか。
 道路掃除をしていると更に色々なことが分ります。自宅前の道路まできれいに掃除している家や会社は栄えています。反対に道路は自分の敷地ではないと言わんばかりにほったらかしにしている家はやはりいつか売りに出されています。
 心の垢も同じでしょう。ほっておくとその人の運勢は悪化します。当然です。汚れた道路同様に周りの人を不快にするからです。
 それでは心の垢をおとすにはどうするか?
 心の垢を落とすことを「洗心」といいます。
仏名経に「今日洗心懺悔す。是の故に經に言わく。此罪相は内に在らず、外に在らず、中間に在らず。故に知る.此罪は本より是れ空なりと」とあります。洗心懺悔すると罪は消えるというのです。
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