福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

南方熊楠より高野山管長土宜 法龍あての手紙

2018-09-26 | 法話

明治35年3月22日、熊楠より土宜 法龍あての手紙に「・・・霊魂の死不死などは題からして間違っておる。神道ごとき麁末なるものにすらアラミタマ、クシミタマなどということがある(日本古来の考え方に、神や人には荒魂(あらみたま)・和魂(にぎみたま)・幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)の四つの魂があり、それら四魂を直霊(なおひ)という一つの霊がコントロールしているというものがある。ここで荒魂とは災害等を起こす魂。奇魂とは奇跡をおこす魂)神にまた魂魄ある説なり。魂と魄の別などは太古から支那にあったらしい。すでに霊魂といわば不死をのみこんだ下題なり。もし人間の人間たる所以の精(エッセンス)が死か不死かとの説ならんには予は他の動物とかわり不死と答うべし。・・・康熙なりしか乾隆なりしか、支那の帝王にして、天地一大劇場、堯舜は立ち役、桀紂は悪方などいひし人ある。予をもってすれば世界は一大劇場、法律は刑罰場、色事は濡れ事場、議論は相談場、憂苦は阿波の十郎兵衛(浄瑠璃「傾城阿波の鳴門」では主人公の阿波の十郎兵衛は誤って我が子を殺してしまうという話。八段目「巡礼歌の段」が有名)殺伐は六段目(仮名手本忠臣蔵六段目では勘平が切腹する)、謀計は七段目(仮名手本忠臣蔵七段目は討ち入りの相談場面)、立志は天河屋の段(仮名手本忠臣蔵十段目、天河屋は由良助の仇討ちのための武具調達を請け負う)、短慮は八百屋お七の恋の火桜(浄瑠璃『八百屋お七恋緋桜』、お七が恋人に会いたい一心で火事を起こす)、これのみ。さたしんだら感相同じ一大柩、悪方もああ苦しく務めた、濡れ事師もつまらぬことに骨折ったがずいぶんうけましたろうかねと、一大愉快を催すこと、虎渓の三笑(晋の高僧彗遠は東林寺にいたが、寺の下にある虎渓をまだ渡ったことがなかった。あるときやってきた詩人の陶潜と道士の陸修静を見送って行く道すがら、話が弾み、虎渓を渡ったのも気付かず、虎の吠えるのを聞いてはじめて気がつき、三人顔を見合わせて大笑いしたという逸話)そこのけなり。・・・悪趣下愚の人間、急に浮かばれず、死んでも六道に迷うは芝居が混雑して手拭を落としたるを尋ね周り、役者が楽屋で役割の当不当を論じ、給金や花に葛藤を生ずるほどのことで、まけおしみから今一度やってみたくなり、無理な算段をして今一度櫓をたてかえさんなどいうやつが、再生輪廻を脱せずに馬のあしとなり鬼卒となりまわるようなもの・・」





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