福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

秘藏寶鑰9

2013-08-22 | お大師様のお言葉
公子曰。和光同塵は抑も前聞あり。然れども猶ほ山は玉を藏して草木茂り、嶽は劍を收めて光彩衝く。躅を尋ねて形を知り、煙を見て火を悟る。有智有行何ぞ必しも知りたがたからんや。

師曰。物は心なきがゆえに相を現す。人は心を含むがゆえに辨え叵(がたし)(人はかくすこころがあるのでそれをわきまえることはむつかしい)。

公子曰。既に聖賢の辨え易からざるを聞きつ。然猶れども佛ほ佛法は國に蠧(のんじ)たり、僧人蠶食す(仏法は紙魚のようにはびこり僧は国費を浪費している)。其益安在乎

師曰。有益無益は後に更に陳答せん。且く大綱を擧げて道俗之損益を示さん。今子が問を聞くに佛法の流傳を思ず、只國家之損益を憂うるにあり。並びに忠臣義士は誠に然るべし也。夫れ國を建て職を設け君を樹て民を御する所以は、本天下を宰して君王に供し、海内を屠って臣佐に給せんがためにはあらず。當に以って天下之父母と與んじて萬民之塗炭を濟わんがためなり。然れば則ち馬を御するの法、非鑣策(びょうさく・・・くつわとむち)にあらずば能はず。人を馭むるの道教令に非ざれば得ず。是故に五常之法を垂れて四海之人を導く。五經三史其の正路を示し、金科玉條其邪逸を防ぐ。若し主上之を行えば則ち天下無爲なり。黎下(れいか・・万民)これに遵えば、則ち宇内無事なり。君臣父子之禮序あり。上和下睦之義無缺なり。然に今詩を誦するもの温惠淳和之心なく、禮を讀むもの恭儉揖讓之志をわすれたり。懲惡勸善は春秋の宗とするところ、潔靜精微は周易の尊ぶところなり。代を擧って披誦すれども誰か孔丘之誡に契い、周公之勸に合える。能く誦し、能く言うは鸚鵡も能く爲す。言って行はざるは何ぞ猩猩に異らんや。

又た夫れ百工天に代わり、九牧人を馭む。七道五畿之長、三百六十之守、縣縣の令尉、郷郷の里正、家家の父子、門門の百姓、其數無量貴賎無邊。然れども猶ほ仁義を行う者幾何ぞ。忠孝を修むるもの幾許ぞ。禮信を愼み守る者幾ばくかある。律令を犯さざるもの幾人ぞ。並びに皆上下文を讀んで其行を愼まず、貴賎口には是なれども心行は悉く非なり。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 新人の参加 | トップ | 捨身飼虎図は宇宙の真理をあ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

お大師様のお言葉」カテゴリの最新記事