観音經功徳鈔 天台沙門 慧心(源信)・・24/27
八、摂折(摂受 と折伏 )の事。「雷震」と云は、菩薩慈悲ばかりにては叶はず。或時は又忿怒の形をも現して衆生を利益するなり。衆生が盛んに悪業をつくるゆへにをどす意にて「戒雷震」とはとき玉ふなり。此の慈悲と忿怒と云は折伏摂受の二つなり。此の二は鳥の羽翼、車の両輪にして相離れざるなり。慈悲柔の形にては善者を利益し、折伏忿怒の形を現じて悪者を利益し玉ふなり。「慈意妙大雲」とは意業の利益なり。慈悲の普く一切衆生に覆ふことを雲の廣く世間に覆ふなり。之に付いて慈悲妙大雲と説かず、「慈意妙大雲」といふに観音の御内証は兎も角も慈悲の意なりといふことなり。
形は随時いろいろに現じ玉へども意は不断慈悲の心にてましますなり。これを如雲慈悲とも如海慈悲ともいふなり。但し智証大師の御自筆の経幷に北野天神の御自筆の経には慈音とあるなり。是則ち下心なきものなり。次に「澍甘露法雨」とは口業の利益なり。説法雨降らして衆生煩悩の炎を除滅し玉ふ也。就中此の一行の文は肝要の文にして能く心得べきなり。戒の雷が震ひ雲の起り、雲起これば必ず雨降るべきなり。別して普門の義を頌する心専らの文なり。次に「諍訟經官處」の事。是をば加頌と釋し玉ふなり。長行に無き事を頌し加るゆへなり。諍訟經官處といふは守護處なんどまでは公事沙汰する等の事、此の時も観音を念ずれば勝なり。さて「怖畏軍陣中」とは戦場に出るときも観音を念じぬれば我は怖畏の義無くして敵は怖畏して退散すべきなり。
「妙音觀世音 梵音海潮音 勝彼世間音 是故須常念 念念勿生疑 觀世音淨聖於苦惱死厄 能爲作依怙」「妙音」と云より下の一行は上の五観に還るなり。是則ち五音は入観の音なるゆへなり。此の妙音は上の品の妙音かと云ふ論義なり。上の品の妙音菩薩にはあらざるなり。観音一菩薩上に五の音聲を挙るゆへに仍って五音未分の處の音聲を妙音と云ひ、五音已分の處を観音といふなり。五音已分かれて上に空音を梵音といひ、假諦の音を海潮音と云ふなり。甫に云、若し念ずる者あれば菩薩即ち應じ而も時を過ぎず、潮と波と時を過ぎざるが如く也。海の潮と波の同時なるが如く、衆生観音を念ずればその念に應じ頓に来たりて利益す。