別格4番鯖大師には午後4時前に着きましたが、以前どこかで老人が、鯖大師ははやく着くとおいだされますよ。と教えてくれていましたが今回は追い出されはしませんでした。
「空性法親王四国霊場御巡行記」では「八坂坂中鯖一箇、行基に呉れて駒ぞ腹痛、と詠ぜし茲は所なり」とあります。この歌は鯖大師の縁起を詠ったものです。「四国遍路(平幡良雄)」によると椿堂は行基菩薩の開基で、大師がここの行基菩薩御手植えの松の根で一夜を過ごされ翌朝通りがかった馬子に塩鯖を所望されたのに対し、馬子は拒否して行き過ぎたが坂の途中で腹痛をおこした。そこで大師が加持水を飲ませて回復させたので、馬子は塩鯖を献上、大師はこれを海へ放つと泳ぎ去ったという伝説があるとのことです。
ここでは時間があったので寺内を歩いていると、「幸せはどこにある、白血病を宝に変えた歩き遍路」という本が目にはいりました。これには「愛媛県大瀬に千人宿大師堂がありここの先代は業病にかかったが遍路宿を建てて千人の遍路を泊めたところ病気が回復した」と書いてありました。 遍路宿をして功徳を積みお蔭を受けたという話はよくあります。真念「四国徧礼功徳記」(浅井證善師の「へんろ功徳と巡拝習俗」)には「土佐の町で大火があったが遍路宿で接待していた家のみ残った。(第六話)」「伊予の宇和島の男が大師を信仰していたが病身で遍路ができなかったため遍路宿をして接待していたが、ある朝突然病が平癒していた。(二十三話)」などと遍路宿の功徳が書かれています。私も四国に生まれていれば老後は帰って遍路宿をした事と思います。
大日経第七に「以我功徳力、如来加持力、及以法界力、普供養於住」という言があります。 病気平癒にせよ家門繁栄にせよ諸願成就の為には
1、本人の徳分、(我功徳力がくどくりき)
2、仏様の加護、(如来加持力にょらいかじりき)
3、周りの支援 (法界力ほっかいりき)
この三つがそろわなければならないということです。自力でも無く他力でもなくこの三力がそろわなければならないというのです。
この観点から色々な場合を見てみると、仏様は常に衆生の苦悩を救ってやろうとされ、周りも助かってほしいとおもっているのに本人の徳分がないため成就しないというケースが本当に多いのです。 この徳分というのが難しいのです。この遍路記でも徐々に体験をまじえつつこれについても述べていきたいと思っています。徳を積むどころかわれわれはみずから毎日悪業を自分に塗りこめて「徳」を損じて嬉々としているのですから・・・。大日経疏には「我々は迷いの糸を勝手に自分の周りに張り巡らせ蚕が繭に閉じこもるように勝手に硬く迷いの殻に閉じこもっている。外にはなんともいえない有難い世界が展開していて殻を少しあけ外を見れば救われるのに自分で迷いの糸を出して全く見ようとしない。そしてついに蚕も其の糸をとる為に熱湯に投げ込まれるように迷いの殻に閉じこもっている我々も自ら熱湯の苦を受けることになる。・・すべては心にあるぞ。」というくだりがあり慄然としました。(大日経疏巻一「・・衆生の自心の實相は即ち是れ菩提なり。有佛・無佛・常に自ら嚴淨なりといえども、然も實の如く自を知らざるが故に即ち是れ無明なり。無明顛倒して相を取るが故に、愛等の諸の煩惱を生ず。煩惱に因るが故に、種種の業を起こして種種の道に入り、種種の身を獲て種種の苦樂を受くること蠶の絲を出すに所因なけれども自ら已より出して自ら纒裹(てんか)して、燒煮の苦を受けるがごとし。譬えば人間の淨水を、天鬼の心に随って或は以って寶と為し、或は以って火と為して自心自ら苦樂を見るが如し。之によって當に知るべし、心を離れて外に一法あることなし。」)
ここには壮大な護摩堂があり毎日祈願が行われています。自分もこんなお堂が建てられたらいいなと思いました。24年4月にはNHKで押切もえさんがこの鯖大師に泊まったという放送がなされていました。
日和佐から室戸までは約75kmあります。ここは大体歩かないで土佐くろしお鉄道とバスを乗り継ぎ「室戸岬」で下車しています。
バス停から歩いていくと24番最御崎寺手前にみくろ堂があります。
みくろ堂はお大師様が18歳の時、21番太龍寺で求聞持を行じられたあと、ここで成就されたとされるところです。四国遍路必拝の場所です。しかしここにはお大師様の像もなく、ただ注連縄が張ってあるだけです。 神社の管理となっているようなのです。もうひとつとなりに神明窟という洞窟があり、ここはお大師様が寝起きした洞窟といいます。
道端の売店のおばさんに「お大師様はお祀りしてないのですか」と聞きました。
すると「お大師様は洞窟の中や岩壁いたるところにいらっしゃいます。見える人は多いですよ」といいます。岩壁を見渡しましたが私には見えませんでした。しかし見えないというのも癪なのでだまっていました。なにかアンデルセン寓話の「王様の裸」も似たような話だと後で気がつきました。今から思うと一本とられたような感じもして一人で笑ってしまいました。
新古今和歌集にお大師様の歌「法性の室戸と聞けど我すめば有為の波風たたぬ日ぞなき」が残っています。
この日も台風並の強風が吹き寄せ、鉛色の海からは山のような大波が恐ろしい唸り声で押しよせていました。 「室戸岬・みくろどの波音」は環境庁認定の日本の音風景百選にも選ばれているそうです。しかし「音」と云う概念を遥かに超えています。まさに海鳴りです。観音経に「梵音、海潮音」とありますがここの海潮音、海鳴りの音は思い上がった我々の日常感覚を吹き飛ばすような迫力です。神仏のお諭の声かもしれません。人間の世界など取るに足りない小さなものだぞ、と言われている気がします。最近自然災害が多発していますがこの時の大波を思い出し自然を掌る神の偉大な力を思い出します。大自然は紛れもなく神なのだとこのとき思わされました。
大師の作といわれるいろは歌に「色はにほへど ちりぬるを わがよたれそ つねならむ ういのおくやま けふこえて あさきゆめみじ えひもせず」とありますがこの「うい(有為)」はこの世に現れた仮の現象ということです。仮の現象とはいえここの「有為の波風」は相当に壮絶なものです。大自然の巨大さと自分の矮小さを徹底的に自覚させられます。壮絶な濤と風に自分の存在そのものが足元から否定されるようです。こういう壮絶な環境のもと大師は求聞持法の成就をされ「明星来影」したのです。想像を絶する精神力です (「三教指帰」に「阿国大瀧岳ニ躋リ攀ヂ、土州室戸ノ崎ニ勤念ス、谷響キヲ惜シマズ、明星来影ス」とあります。)。 私も21年の太龍寺での求聞持成満の時、次はこの近くの不動岩で求聞持法を修しようとおもいましたがこの壮絶さになかなか決心がつかないでいます。
御蔵洞の先に24番最御崎寺への登り口があります。途中に「一夜建立の岩屋」や「捻岩」など大師ゆかりの洞窟があります。ウバメガシやアコウの密生林を抜け、登りつめたところが24番最御崎寺仁王門です。
澄禅「四国遍路日記」には「東寺(24番最御崎寺)、本尊虚空蔵菩薩、左右二天の像在り、堂の左に宝塔あり、何れも近年、太守(山内忠義、1609から1669)の修造せられて尊麗をつくせり」とあります。今は仁王門を入ると右に鐘楼堂、虚空蔵菩薩石像、多宝塔などがあり、左に大師堂があります。その先左手に手水場、納経所があり正面に本堂。本堂裏には霊宝殿、聖天堂、護摩堂などが並び、奥には以前の宿坊跡があります。此の宿坊から25番への遍路道があり、石段を降りるとお大師様の像があります。そしてその像のまえには「ようおまいり」と書かれています。20年の逆打の時、なんとこれと全く同じお言葉を薄明の人気のない雲辺寺の山中でかけられたのです。まさに何世代にもわたり語り継ぐべき出来事が起こったのです。後に述べます。
17年の納経の時は、私の掛け軸のお大師様の五鈷杵が納経所に差しこんできた朝日を受けてキラキラと輝き本当に有難い気持ちになりました。この掛け軸の五鈷杵は今も自宅で事ある毎に光ります。本当に不思議でありがたい掛け軸です。