福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

不邪見戒の功徳

2017-09-27 | 法話
釈雲照師の「仏教大原理」に「未曽有因果経では『百歩歩く間でも十善戒を保つと無量の功徳がある』と説く」という趣旨の事が載っています。いままで十善戒は言うに易く行うに難いものとばかり思っていましたが、この「百歩の間でも、十善戒を保つ」という言葉に惹かれて十善戒の根本である不邪見戒を少しでも守ろうと、時々電車に乗っている間、散歩している間、居間にいる間等短時間を限っても見るもの全てを穏やかな肯定的な心で見ることにしました。いままでは電車の中でぶつかってイライラしたり、散歩しながらすれ違う人を批判的な目で見たりしていましたが、不邪見戒を自覚してつとめてすべてを穏やかな目で見ると何とも言えず気分がいいのです。
それどころかこうして短時間の不邪見戒繰り返しを実践し始めて数日後に突然家族の素晴らしい朗報が舞い込んできました。
今日までを反省すると、イライラしたり人を批判したりする貪瞋痴の汚れた心のままで仏様に祈願することも多かったように思います。これはいわば体中に汚物をつけて異臭を発しながら神仏を拝んでいることになります。そんな異臭を発しながら祈願しても神仏に届くはずがありません。
古歌に「心だに誠の道にかなひなば 祈らずとても神や守らん 」というのがあります。以前は不信心者の歌だと思っていましたが、最近、先に宣べたように不邪見戒を少時でも守ることによりお蔭を頂いたことから、これは相当意味の深い歌であるかもしれない、と思うようになりました。
逆に「心まで 貪瞋愚痴に染まりなば いかに祈るも 神も守れじ」ということでもあろうと思います。
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