1、以前先輩から「自分もついに『高貴』高齢者になりました・・」というお便りを頂きました。「高貴」高齢者とは非常にいいことばだとおもいました。「後期高齢者」では死に一番近い高齢者というそのままのネーミングで即物的で中々元気が出ません。その意味で「高貴」というのは自分自身の自覚を高める意味で大変すばらしいネーミングと感心しました。そういえば昔の「お爺さん・お婆さん」はどこか貴いものをもっているような気がしたものです。巡礼や寺社巡りをしていたので自然とそういう「貴い」雰囲気を身に着けていたのでしょう。しかしこの「高貴」ということばは更に深い意味を持っていて後期高齢者が使うのに最も適している言葉であることがわかりました。結論を先に云えば、仏典上「高貴」ということばは涅槃経中に「高貴徳王菩薩」として使われていて、ここにはお釈迦様御涅槃時の説法のエッセンスが詰まっているのです。即ち、「仏身常住・一切衆生悉有仏性・一闡提成仏」です。「肉体は滅んでも法は滅びない、一切の者には仏性がある、どんな罪を犯した者もお釈迦様により救われる」、という教えです。死を目前にした高齢者が自覚するにもっともすばらしい言葉と思いました。以下説明します。
2、先ず「高貴」の具体例です。大阪府南河内郡にある「高貴寺」は江戸時代小釈迦とたたえられた慈雲尊者が晩年を過ごされたところですが、寺名は大師が「高貴徳王菩薩」を感得されたことによるとされています。(高貴寺縁起「・・旧記にいわく役優婆塞、葛城峯中に於いて二十八箇の宿処を構え、三宝冥衆の護念を憑く。是則ち、法華の品を擬す。次に当嶽において普門品を膺す哉。風聞、当初底筒男命天より降り御座す。奉り視る、岩船明神これなり。因みに神下山香華寺と名ずく。ここに弘法大師此の道場に来住されときに高貴徳王菩薩(涅槃経影向衆)忽ちこの山に応現さる。これによって改めて高貴寺と号す云々。」)
3、 これにより大師の御本地に高貴徳王菩薩が加えられていますが(密教研究51、中川善教「弘法大師の本地と前身・・」)肝心の高貴徳王菩薩がどういう仏様か辞書にもちゃんと載っていません。「大般涅槃経」「仏説羅摩伽経巻上」「大方等大集経巻十一海慧菩薩品第五の四」「菩薩善戒経巻一」にのっているようですがあまりはっきりした説明はありません。以下「弘法大師の御本地-高貴徳王菩薩について 、 密教学会報 25 、 山田 弘徳 」を引用します。「・・仏説羅摩伽経巻上では、「善男子、(善財童子のこと)汝これに従って南行せよ、彼に大城あり、なずけて善寂という、城内に長者あり、名を高貴徳王という、彼の長者昼夜六時に恒に栴檀宝塔を供養す、汝彼を尋ねて問え、如何んが菩薩の學なるや、如何んが菩薩の行なるや、如何が修菩薩道なるやと、時に善財童子、頭面敬礼、辞退して南行す。」とあり、・・高貴徳王菩薩は善寂という町に住む一長者である縁をここに伝えていると思われ・・、以下善財童子が徳王長者にまみえ大乗菩薩の「学、行、修道」について教えを乞い、これを開示される。概略を示せば「高貴徳王菩薩は『成就不滅度実際法門』に住することで『我今審知諸仏如来』ことができると説き、佛は入滅されたのでなく、方便として衆生を導くために仮に涅槃を示されただけで、真佛は常住の故に舎利のおさめてある栴檀宝塔を供養することでその真実が明らかとなる、と教え、善財童子はそのとおりにすると不可思議なる三昧を得、宝塔に無量無数の諸仏の雲集せるを観、それぞれに八相成道の姿を示現し、衆生救済の活動をされている光景を観る。そこで高貴徳王菩薩は、善財童子に、この栴檀宝塔中に出現した無量諸仏は『明浄不二法門三昧』の神通力によるもので、諸仏が一切処に遍満し、各処で法輪を転じておられる姿は明浄の鏡に映った身のごときものであり、それが自身の心に見えると知るべきことを教える。・・・」この「羅摩伽経」での高貴徳王菩薩いの教えは『成就不滅度実際菩薩法門』といわれ「真佛の在ますを審らかに知る」ことであり、それを導き出すのに仏の『涅槃』の問題を出してきて、塔を礼拝供養する功徳から三昧を得、真佛にまみえることがここでの菩薩道中心思想と考えられる。・・・菩薩善戒経巻一では『誰能一切衆生を教化せんや。・・高貴徳王菩薩言、世尊、我能く彼をして懃修精進せしめん、』とあり、要約すると悪世に於ける衆生をいかにして救済するか、という世尊の問に対して、答を発する菩薩の中に『高貴徳王菩薩』があり、菩薩は『悪世の衆生をして、勤修・精進せしむ』という自らの答えを出している。大方等大集経巻十一海慧菩薩品第五の四では『光明遍照高貴徳王菩薩、もしよく真実涅槃を知見すれば法を見、滅および無生滅を見る。一切衆生悉有仏性、・・』とあり、蓮華となずくる菩薩が世尊にたいして発した問に対する答えを山王菩薩をはじめとする多数の菩薩が各自の説を宣べる。その菩薩の一人が高貴徳王菩薩であり、名には「光明遍照」の冠詞が付されている。このぼさつは又、『真実涅槃・一切衆生悉有仏性』という涅槃経の有名な教えを説く。・・」とされます。要は涅槃経への道筋をこれらの経典でつけているということでしょう。
4、そして大般涅槃経にいちばん多く高貴徳王菩薩は出てきます。
田上太秀「ブツダ臨終の説法―完訳大般涅槃経」によると
涅槃経のエッセンスは「仏身常住・一切衆生悉有仏性・一闡提成仏」であるといいます、そして涅槃経の「光明遍照高貴徳王菩薩品」ではお釈迦様の対告衆としての「高貴徳王菩薩」にお釈迦様が、「「妙寂」の実践と功徳により仏身常住・一切衆生悉有仏性・一闡提成仏がわかるとされます。また、妙寂と大妙寂は異なるもので究極の常楽我浄があるところが大妙寂である、・・慈悲にあふれすべての生類を憐憫し、自分の両親に対するように人々を扶養して面倒を見る、そして生死の河を渡らせ広く人々に唯一の真実の道を教える、これが大妙寂である。・・私の教えの中で妙寂を最上とする」等とおっしゃいます。こうしてみると「高貴徳王菩薩」はやはり涅槃経のエッセンス「仏身常住・一切衆生悉有仏性・一闡提成仏」を体現されている仏様といえましょう。
5、ではお姿はと云うとあまりありません。もちろん密教の仏様ではありませんので曼荼羅中にもいらっしゃいません。さきの「弘法大師の御本地-高貴徳王菩薩について 、 密教学会報 25 、 山田 弘徳 」では「仏像・仏画に見る高貴徳王菩薩」として、
「絵画では金剛峰寺の国宝「応徳佛涅槃図」の中に高貴徳王菩薩が描かれている。
彫刻としては高貴寺奥の院御影堂の向かって左腋の厨子に安置されているものと、豊明市桶狭間の高徳院本堂の本尊がそれである。私は高貴寺にお願いし高貴徳王菩薩とされる像を拝させていただいた。像高46センチの白木で、菩薩像で右手に宝剣、左手に宝珠を持しているところから虚空蔵菩薩によく似ている。住職は『虚空蔵法』を修されるということであった。」と書いています。
たしかに高野山の涅槃図には左奥に「高貴徳王菩薩」が描かれています。この図の系統の他の涅槃図にも「高貴徳王菩薩」は菩薩形ででてきます。講元もいままでは涅槃図を見ても「高貴徳王菩薩」がだれか・なぜそこにいらっしゃるのかわかりませんでしたが今回よくわかりました。涅槃図は涅槃経をもとに作られているのでその主要人物の高貴徳王菩薩を登場させているのです。
高貴寺の「高貴徳王菩薩」については数年前拝したことがありますが、白木であることぐらいしか印象に残っていません。もっとちゃんとお姿を拝んでおくべきだったと思っています。
6、いずれにせよ、高齢者が自らを「高貴」高齢者と自覚することは、背後にこういう「高貴徳王菩薩」の「仏身常住・一切衆生悉有仏性・一闡提成仏」という深い教えを秘めているとおもえばすばらしいことと云えます。老人革命を起こすようなものです。
(参考・古今著聞集「・・慈覚大師如法に経かきたまひける時、白髪の老翁杖にたずさわりて、山によじのぼりけるが、『あなくるし、内裏の守護といひ、此の如法教の守護といひ、年はたかくなりてくるしゅう候ぞ』とのたまひけり。『たが御渡候ぞ』とたずねければ『住吉神なり』とぞのりたまひける。・・住吉は四所おわします。一御前は高貴徳王大菩薩なり、龍に乗る。御託宣にいわく『我は是れ兜率天内高貴徳王菩薩なり。鎮護国家の為に、当朝墨江の辺に垂迹す・・』これのよりて神宮寺をば建立せられけるなり。
・源平盛衰記「・・権亮三位中将(平維盛)は・・住吉社へ詣りたまひつつ一夜の通夜をぞ申されける。祈誓は『今一度都へ帰り入り再び妻子を見せしめたまへ』となり。そもそもこの明神と申すは元はこれ高貴徳王の変身として名を佛教に顕し、今は叡哲聖守の周衛として化を神州に被らしめためへり・・」
・中川善教「弘法大師の本地と前身及びその後身」密教研究51・・・「大師が三地の菩薩なりとの思想は高貴徳王菩薩を介して住吉明神と同体なりとの説を生じ来たり、「行状図絵」の第十『住吉同体事』には「伝へ聞く、大師は第三地の菩薩なり。高貴徳王菩薩となり、我が朝に誕生して三密を広め、国家を利し遂に高野の勝地をしめて、金剛定に入り、龍花の下生を期す。不思議なり、不思議なりと云々。住吉明神の御本地、高貴徳王菩薩なり、高野の大師と同体也ということ聖主の勅語仰ぐべし、貴むべし。・・・」とある・・」)
2、先ず「高貴」の具体例です。大阪府南河内郡にある「高貴寺」は江戸時代小釈迦とたたえられた慈雲尊者が晩年を過ごされたところですが、寺名は大師が「高貴徳王菩薩」を感得されたことによるとされています。(高貴寺縁起「・・旧記にいわく役優婆塞、葛城峯中に於いて二十八箇の宿処を構え、三宝冥衆の護念を憑く。是則ち、法華の品を擬す。次に当嶽において普門品を膺す哉。風聞、当初底筒男命天より降り御座す。奉り視る、岩船明神これなり。因みに神下山香華寺と名ずく。ここに弘法大師此の道場に来住されときに高貴徳王菩薩(涅槃経影向衆)忽ちこの山に応現さる。これによって改めて高貴寺と号す云々。」)
3、 これにより大師の御本地に高貴徳王菩薩が加えられていますが(密教研究51、中川善教「弘法大師の本地と前身・・」)肝心の高貴徳王菩薩がどういう仏様か辞書にもちゃんと載っていません。「大般涅槃経」「仏説羅摩伽経巻上」「大方等大集経巻十一海慧菩薩品第五の四」「菩薩善戒経巻一」にのっているようですがあまりはっきりした説明はありません。以下「弘法大師の御本地-高貴徳王菩薩について 、 密教学会報 25 、 山田 弘徳 」を引用します。「・・仏説羅摩伽経巻上では、「善男子、(善財童子のこと)汝これに従って南行せよ、彼に大城あり、なずけて善寂という、城内に長者あり、名を高貴徳王という、彼の長者昼夜六時に恒に栴檀宝塔を供養す、汝彼を尋ねて問え、如何んが菩薩の學なるや、如何んが菩薩の行なるや、如何が修菩薩道なるやと、時に善財童子、頭面敬礼、辞退して南行す。」とあり、・・高貴徳王菩薩は善寂という町に住む一長者である縁をここに伝えていると思われ・・、以下善財童子が徳王長者にまみえ大乗菩薩の「学、行、修道」について教えを乞い、これを開示される。概略を示せば「高貴徳王菩薩は『成就不滅度実際法門』に住することで『我今審知諸仏如来』ことができると説き、佛は入滅されたのでなく、方便として衆生を導くために仮に涅槃を示されただけで、真佛は常住の故に舎利のおさめてある栴檀宝塔を供養することでその真実が明らかとなる、と教え、善財童子はそのとおりにすると不可思議なる三昧を得、宝塔に無量無数の諸仏の雲集せるを観、それぞれに八相成道の姿を示現し、衆生救済の活動をされている光景を観る。そこで高貴徳王菩薩は、善財童子に、この栴檀宝塔中に出現した無量諸仏は『明浄不二法門三昧』の神通力によるもので、諸仏が一切処に遍満し、各処で法輪を転じておられる姿は明浄の鏡に映った身のごときものであり、それが自身の心に見えると知るべきことを教える。・・・」この「羅摩伽経」での高貴徳王菩薩いの教えは『成就不滅度実際菩薩法門』といわれ「真佛の在ますを審らかに知る」ことであり、それを導き出すのに仏の『涅槃』の問題を出してきて、塔を礼拝供養する功徳から三昧を得、真佛にまみえることがここでの菩薩道中心思想と考えられる。・・・菩薩善戒経巻一では『誰能一切衆生を教化せんや。・・高貴徳王菩薩言、世尊、我能く彼をして懃修精進せしめん、』とあり、要約すると悪世に於ける衆生をいかにして救済するか、という世尊の問に対して、答を発する菩薩の中に『高貴徳王菩薩』があり、菩薩は『悪世の衆生をして、勤修・精進せしむ』という自らの答えを出している。大方等大集経巻十一海慧菩薩品第五の四では『光明遍照高貴徳王菩薩、もしよく真実涅槃を知見すれば法を見、滅および無生滅を見る。一切衆生悉有仏性、・・』とあり、蓮華となずくる菩薩が世尊にたいして発した問に対する答えを山王菩薩をはじめとする多数の菩薩が各自の説を宣べる。その菩薩の一人が高貴徳王菩薩であり、名には「光明遍照」の冠詞が付されている。このぼさつは又、『真実涅槃・一切衆生悉有仏性』という涅槃経の有名な教えを説く。・・」とされます。要は涅槃経への道筋をこれらの経典でつけているということでしょう。
4、そして大般涅槃経にいちばん多く高貴徳王菩薩は出てきます。
田上太秀「ブツダ臨終の説法―完訳大般涅槃経」によると
涅槃経のエッセンスは「仏身常住・一切衆生悉有仏性・一闡提成仏」であるといいます、そして涅槃経の「光明遍照高貴徳王菩薩品」ではお釈迦様の対告衆としての「高貴徳王菩薩」にお釈迦様が、「「妙寂」の実践と功徳により仏身常住・一切衆生悉有仏性・一闡提成仏がわかるとされます。また、妙寂と大妙寂は異なるもので究極の常楽我浄があるところが大妙寂である、・・慈悲にあふれすべての生類を憐憫し、自分の両親に対するように人々を扶養して面倒を見る、そして生死の河を渡らせ広く人々に唯一の真実の道を教える、これが大妙寂である。・・私の教えの中で妙寂を最上とする」等とおっしゃいます。こうしてみると「高貴徳王菩薩」はやはり涅槃経のエッセンス「仏身常住・一切衆生悉有仏性・一闡提成仏」を体現されている仏様といえましょう。
5、ではお姿はと云うとあまりありません。もちろん密教の仏様ではありませんので曼荼羅中にもいらっしゃいません。さきの「弘法大師の御本地-高貴徳王菩薩について 、 密教学会報 25 、 山田 弘徳 」では「仏像・仏画に見る高貴徳王菩薩」として、
「絵画では金剛峰寺の国宝「応徳佛涅槃図」の中に高貴徳王菩薩が描かれている。
彫刻としては高貴寺奥の院御影堂の向かって左腋の厨子に安置されているものと、豊明市桶狭間の高徳院本堂の本尊がそれである。私は高貴寺にお願いし高貴徳王菩薩とされる像を拝させていただいた。像高46センチの白木で、菩薩像で右手に宝剣、左手に宝珠を持しているところから虚空蔵菩薩によく似ている。住職は『虚空蔵法』を修されるということであった。」と書いています。
たしかに高野山の涅槃図には左奥に「高貴徳王菩薩」が描かれています。この図の系統の他の涅槃図にも「高貴徳王菩薩」は菩薩形ででてきます。講元もいままでは涅槃図を見ても「高貴徳王菩薩」がだれか・なぜそこにいらっしゃるのかわかりませんでしたが今回よくわかりました。涅槃図は涅槃経をもとに作られているのでその主要人物の高貴徳王菩薩を登場させているのです。
高貴寺の「高貴徳王菩薩」については数年前拝したことがありますが、白木であることぐらいしか印象に残っていません。もっとちゃんとお姿を拝んでおくべきだったと思っています。
6、いずれにせよ、高齢者が自らを「高貴」高齢者と自覚することは、背後にこういう「高貴徳王菩薩」の「仏身常住・一切衆生悉有仏性・一闡提成仏」という深い教えを秘めているとおもえばすばらしいことと云えます。老人革命を起こすようなものです。
(参考・古今著聞集「・・慈覚大師如法に経かきたまひける時、白髪の老翁杖にたずさわりて、山によじのぼりけるが、『あなくるし、内裏の守護といひ、此の如法教の守護といひ、年はたかくなりてくるしゅう候ぞ』とのたまひけり。『たが御渡候ぞ』とたずねければ『住吉神なり』とぞのりたまひける。・・住吉は四所おわします。一御前は高貴徳王大菩薩なり、龍に乗る。御託宣にいわく『我は是れ兜率天内高貴徳王菩薩なり。鎮護国家の為に、当朝墨江の辺に垂迹す・・』これのよりて神宮寺をば建立せられけるなり。
・源平盛衰記「・・権亮三位中将(平維盛)は・・住吉社へ詣りたまひつつ一夜の通夜をぞ申されける。祈誓は『今一度都へ帰り入り再び妻子を見せしめたまへ』となり。そもそもこの明神と申すは元はこれ高貴徳王の変身として名を佛教に顕し、今は叡哲聖守の周衛として化を神州に被らしめためへり・・」
・中川善教「弘法大師の本地と前身及びその後身」密教研究51・・・「大師が三地の菩薩なりとの思想は高貴徳王菩薩を介して住吉明神と同体なりとの説を生じ来たり、「行状図絵」の第十『住吉同体事』には「伝へ聞く、大師は第三地の菩薩なり。高貴徳王菩薩となり、我が朝に誕生して三密を広め、国家を利し遂に高野の勝地をしめて、金剛定に入り、龍花の下生を期す。不思議なり、不思議なりと云々。住吉明神の御本地、高貴徳王菩薩なり、高野の大師と同体也ということ聖主の勅語仰ぐべし、貴むべし。・・・」とある・・」)