福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

地蔵菩薩三国霊験記 2/14巻の14/16

2024-07-04 | 先祖供養

地蔵菩薩三国霊験記 2/14巻の14/16

十四、古寺を修理して大験を得る事

中古三河の國大濱と云所に在ける法師生得師の教を受けずして地蔵信仰の行者たり。外には指(させ)る行徳もなく内には勝れたる明智もなかりけれども唯地蔵一三昧の御利生かと覚へて計らざる人の哀れみを受けて朝夕も貧しき事もなかりければ、弥よ信心を凝らして一向に名号を唱へ奉て寅の一點には必ず勇猛精進に地蔵菩薩の勤行を致し称名日を重ねたり。或暁に庵室の窓を扣く音して何如やと御房、信施の積所をば畏れざる乎との玉ひて錫杖の音耳にはいりけるに目を覚まし足を引き屈して胸打騒ぎ、こはいかなる人の示玉ひつらんと情々(つらつら)思念するに我が身の行業更に以て真実無念の直道の背けり、所作の修験加持の作法は偏に虚假の加行なり。正に度世の幻法なれば争か佛の御心に叶奉べき當来の果報に恐怖多し。角と驚かし玉ふは定めて知りぬ地蔵にてこそあるらめ、錫杖の音に夢覚めて罪障思ふに限り無し、我如是にせんと声も惜しまず叫びける。良久(ややひさし)くありて居なをり心をしつ゛めて思けるは所詮暫く居所を別んきして流転法界の身となるべし。先ず信濃の善光寺へ参りて罪根をも懺悔し奉らんとぞ思立ける。されば彼の如来は忝くも釈尊加持の遺像にて閻浮檀金の真佛三昧即是の本尊地蔵一如の阿弥陀如来四十八願こまやかにして群類同居の利益を施玉へり。前にあらはれ玉ふ地蔵薩埵は圓通唯一の尊容三十三身の應作彌陀同一の聖像にして四十九變の色身にて一念一礼の結縁を本として摂取不捨の光明は法界に遍満して無佛世界にも普照せり。難化無縁の迷黨をも済度せんとの本誓なれば増して憑み奉らん。争(いかで)か徒に寒氷炎口の底に沈みしめんや。幸いに一世界の衆生と生れ纔に千里を過ぎず。山川峻険といへども恐らくは平地なり。所詮参詣し奉りて生身の尊容に結縁をも励まして将来の果報をも祈請申さんと一途に思立所生の大濱を立出て彼の善光寺に志して、駿河の國富士の麓の野に歩み出にけり。すすきかるかや露に伏して往来の道も幽なり。仰げば御岳半は雲に入り雪の膚もをぼろにて、霧麓に埋みて梢は里を隠すなり。日の暮れぬるやらんと覚て木艸の色もをぼろに見えて遠山頻りに色をかくし人世遥かに去りて入會の鐘もつたへず。只闇々として獨り暗き野原に迷ひけり。何(いずく)か人居近くあるらんと見遶りて徘徊しけるに真近き程に人音の聞ゆるを近付きよりて聞きければ辨舌は正しく聞へねども法師の聲にて物語して火をかかげ玉ふ由ぞ見えけるに覚ず人里かとをぼしき所に出ける。其の後は法師も火も共に見へず、最早夜半にてもあるべけれど四方を見れば茅葺にして編垂と云ふ物を掛けたる家一宇あり。傍には三間(5.5m)四面の新造の精舎あり。いまだ半の造作にてさしも気高く見へたり。此の外には更に以て隣もなし。聖此に立ち寄りて宿を借りんと云ければ、良(やや)久しくありて内より若き女房のさしも止事無き(やむごとなき)が一人立ち出でて法師にてましませば、将来の結縁にも宿を奉りたくは侍れども彼は人に宿を借さざるところなり。増して人々留守にて侍れば女の身として容易(たやすく)はからひ申さんも如何。情けなきに似侍れども此の断(ことはり)料簡し玉へとぞ申しける。法師の云く、仰せもさることには侍れども同じ法師の身ながら別て善光寺へ参る行人なり。況や一生持律の僧にて犯せる科あるまじき行者たり。されば教主釈尊も入里乞食の時しも若無比比丘一心念佛と許させ玉ふも遠違のことにもをはしまさず如是の所なり(妙法蓮華経 安楽行品第十四「里に入って乞食せんには 一りの比丘を将(ひき)いよ、若し比丘無くんば 一心に仏を念ぜよ 是れ則ち名づけて 行処近処と為す」)。凢そ一河の流れを汲み一樹の下に休息すること一生の値遇にあらず、宿因のなすことなり。佛法結縁にもなるべし(説法明眼論「或はー国二坐し。或ハー郡二住シ。戒ハー懸二處シ。或ハー村二處シ。一樹ノ下二宿シ。一河ノ流ヲ汲ミ、一衣ノ同宿、一日ノ夫妻、一所ノ聴聞、暫時ノ同道、半時ノ戯笑、一言ノ会釈、一坐ノ飲酒、同杯同酒、一時ノ同車、同畳ノ同坐、同詠ノー臥、軽重に異有リ。親疎に別有ルモ皆是れ先世ノ結縁ナリ。是ヲ以テ験知スルニ牛馬六畜モ今生二結縁セバ当来二親ムべシ」)。一夜を明かさせ玉へと申さる。女房も心弱くは思へども娑婆の習我が身に任さぬ事なれば案じ煩ひて居たり。法師弥よ勧めければ凢そ目出度(めでたき)九品の浄土も唯心の品によりてこそ次第はあると金言あり(維摩経・仏国品「若し菩薩、浄土を得んと欲せば当に其の心を浄むべし。其の心浄きに随いて則ち仏土浄し」)。朝夕を待たず幻の世に何の工夫の入るべきぞと云はれて女房、御理尤なり内へ入らせ玉へ、されども彼が屋の角に息を止めて臥し玉へと云ひければ聖、不審ながらもさしもいまだ心憂侍らば彼(かしこ)に見へたる草堂は何なる寺にて侍るやらん。寺は法侶の栖、在家は世俗の住宅なり。定法を破るもいかばかがなれば彼の堂に宿を借給へとぞ白しければ、女房涙を流して云けるは、此の家は如玄三昧の火宅なり。聖に宿を借奉る功力に依りて滅尽の益に預るべし。彼の堂は忝なくも菩薩楞厳の造作にて輙(たやす)く宿玉はんこと難かるべし。近き軒を双るとこそ見玉ふらめ、遥かに八方由旬の外なり、と云へば聖真しからず思て、さて如何なる寺ならんと問ければ、彼の寺は七寶荘厳なれども聖の肉眼にては草の庵と見玉ふなれ。是は甲州一條(甲府市)の高砂河原に立ち玉ふ地蔵堂を修理し奉りたる某丸と云下賤の一報の縁尽きなん後に来たりて栖べき精舎なり。恭しくも百億分身の地蔵菩薩の新造し玉へる寺なりき。其の本堂は甲斐國一條(甲府市)の高砂松原に立ち給へるなり。我等も心に任する身ならば参りて値遇の縁をも結び度(たく)はべれども叶はず。行住に唯念じ奉る計りなりとぞ語りける。我が待ち人も近き来り玉ふらん、我等がありさまを見て哀れみ給へ必ず氣をも屈し玉ふなと内に入りて火を炉にたき設けて待けるが俄かに雨風吹き来たり四方山震動して雷光頻りに閃きて雨止風静て人一両人の足音あらくして敵の寄り来たるやらんと思ひければ松明を振り立て太刀に血をあやして唯今合戦しつらんとおぼしくて息も荒く走り入りければ、彼の女、酒肴を取り出して進めけり。兄かとおぼしき人眠ければ弟とおぼしき男これをいさめて、あら不思議や日比(ひごろ)なき人のあるは敵のたばかりやしつらんと女房をはたとにらみければ女房陳しければ遠方の旅人の道に迷て宿し玉ふなり。これ地蔵菩薩の引接にて来たり玉ふなり。別して善光寺参詣の行人なりと云もあへず泣にければ、男言下に色を柔げて、さてなつかしく思ひ奉るなり。今夜のありさま善光寺にて懺悔して得させ玉へとて各々直垂の袂をしぼりければ、言も終らざるに四方の山震動しけり。敵近きすとて、手毎に松明を振り太刀を引きそばめてつと出去りぬ。女房一人残留りて火の影幽にして涙を留めて白しけるは、如何にや聖、只今の人々の有様見玉いきや。是こそ曽我兄弟の魂霊、兄の為に罪を造り劫數業を受け闘諍堅固の羅道に入り互いに殺しつ殺されつすること戦ふ事日夜に十二度なれども今は追善の功によりて、日夜に六度に減ず。我は十郎が愛念の綱に繋れて共に彼の修羅の内に入る。天晴今は追善の功によりよることなく合戦に力を副ふる便なし。されども父の為に孝養の忠有るに依りて此の家を地蔵菩薩の已前兄弟の為に新造し玉ひし。次いでに我にもあたへ玉ひたれば敵の寄来ることなし。如是に敵を責め合戦過ぎては必ず爰に来たりて休み居て息をつぎて又合戦に出玉へりと細かに語りて咽びければ、聖哀れに思て心中に誦経し志を発して合掌して目を閉じければ吹く風に草の露の身に冷ややかに覚えるに驚き目を開き見ければ霧晴雲去りて月は未の刻(午後2時)ばかりなるにさる原中の塚の少し高き處の一村すすきの本にこそ踞り居りけり。聖肝うちさはぎてこはいかなる天魔に誑かされて爰には立ち寄り、かやうの幻相をば見つらんと思て露打拂ひ立ち出て信濃の國へこそ急ぎける。聖幻相とは思ひけれども見ける在様少しも忘れず目に留めて聞ける言葉も耳に残り心に浮き出ける程に先(まず)女房の申しける甲斐の國一條(甲府市)と云處の地蔵堂を尋ねければ傍に牛を飼ける童指さし教て云けるは、聖きかせ玉へ、彼の處を一條と申す事は塵土は河水に流盡、草木の根も埋て雪を曝せる砂路の一條の河原と成りてさしも清氣なればとて一條とは申すなりとて行方知らず失せにけり。聖彼の處に行向て見ければ蒲無河と云大河東西に流れたり(甲府盆地の中央を東流する釜無川)。彼の河の南に四方一百余町(100ha)ばかりの曠玄(くわうげん)一條なる白砂の河原あり。水に漂ひ波にせかれて砂高く見へければ人高砂河原と名付ける。彼の中央に流れ御堂と号して歳霜久しき古寺一宇あり。本尊は地蔵菩薩六尺三寸(1.9m)の立像木躯の彩色にてまします。修理も十余年に及ぶとぞ見し。富士野のすそにて見し處の幻化に少しも違はずありければ弥よ貴く心肝を動じければ先ず修理の檀那をぞ問けるに、名字も同じくして下郎にて侍りける将来の結縁に対面して件の幻化の瑞を語りければ、笑ひ欺て用ひずありき。其れより善光寺へ参着して伏拝み年頃の願足りと喜悦の思ひをなし、如来の御前にて件の幻相を委しく語り廣めて彼の人々の後世の資助を勧進して念佛を乞けるに万人ともに用ひざる人はなかりき。されば如来の御厨子も動き玉ひければ百の輩も是を見奉りて各々感涙をぞ流しける。法末の比丘是を聞きて此の事を語り逢て法瑞切にして佛力の應ずる所、人をして知らしめんが為記し置くのみ。凢そ彼をば本の真如坊と白しける。常に法華を信ず。地蔵尊は法華を護持し玉ふ由を聞き侍るに今度の霊験新たに心肝に染まりて貴かりければ、今一度高砂河原の流御堂に参り結縁し奉んと思ひ立ちて彼の地に到り心静かに法花をぞ讃誦して法楽に奉り且参詣の人もあれかし。流御堂と云ふ因縁を尋ねんと倩(つらつら)睡りけるに夜半ばかりに童子とをぼしき足音あいて堂中に指入て佛前に念誦する聲良(やや)久しく聞へけり。聖有り難き事に思入り何人にて在すぞ、此の寺の流御堂と白すは何なる故やらん、此の法師に語り玉へとあれば、されば昔淳和天皇の御宇(8世紀)に霜雨頻りにして洪水山を崩し岡を破りければ、彼の寺は往古西山白根岳(南アルプス市)の麓に頂澤川の傍らに安通院と号して其の山に深く立玉ふ、行基菩薩の御建立済度甚深の道場たり。本尊は地蔵にて在す。山深く人居も遠くして遥かに彼の河原に移りて立玉へば、世人是を流御堂と白すなり。昔の安通院は是なり。されば志薄き男女も覚へざるに詣で愚なる童男童女も各々一花の供養を為して自然に成仏の源を発すなり、と語りて未夜を篭めて行方しれず去りにける。是併しながら地蔵薩埵の應作にて真実説授の御利生なりと念じ奉り、下向しける。されば彼の聖、皈國の後も常に誦経念誦の次序(つひで)には彼の幻相の人々成仏得度の回向しけり。終にはなどか罪も滅せざらん乎。正しく是地蔵菩薩の化導に値奉て利益十方の得益を施す者なり。

 

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