福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

2020年8月・待ちどうしい護国寺参拝(角田光一郎)

2020-08-15 | 講員の活動等ご紹介
2020年8月・待ちどうしい護国寺参拝(角田光一郎)

人間というのは、長生きしていると、娑婆世界のいろんな事象を見せられたり、経験させられたりするものです。とてもじゃないけれど、頭がパンクしそぅになります。その中でも、目下のところでは、何といっても「新型コロナウイルス感染症」で、地球規模の伝染病の恐ろしさでしょう。コロナウイルス感染の恐ろしさをいやというほど知らされました。コロナウイルス感染の恐ろしさは、まだ特効薬がないことです。コロナウイルス感染を見つけても抗体検査などの検査止まりで、処置のしようがありません。

このコロナウイルス感染騒動のため、日本列島は北海道から、九州・沖縄まで、ウイルスの汚染が広がり、私たちは、何時どこで感染するか分からない恐怖の中で生きているということです。そしてウイルスは、日一日と確実に増殖してゆき、始末の悪いことには感染の影響は、病院、地方自治体の保健所などの医療機関のみならず、日本の経済、商業、教育の分野、そして、個人の生活にも及び、更なるコロナ不安を駆り立てているようです。

私たち福聚講も、コロナの影響をまともに受け、定例の護国寺参拝の行事を、今年3月から、今迄お休みせざるを得なくなりました。また、私が御詠歌の稽古をするために、通っている大本山高尾山薬王院のご詠歌の稽古も休止になり、3月から7月までお休みになりました。

高原講元様のブログを見て、いつも思うのですが、日本列島ではこうした、疫病や自然災害などの、悲惨な不幸は、古代の日本人にもついて回っていた、不吉な現象で、だれもが避けられない運命であったと思います。疫病・旱魃・飢餓・などに苦しめられ当時の天皇陛下は、寺社に祈祷をさせたりして、救いを求めていました。古代から今日まで、日本人にとって、天災をはじめ様々な災害は、避けることのできない命運であり、「業」の仕業であると考えられてきたのでしょう。

こういう八方塞がりの世情の時には、元気な人の力を借りて、自分を奮い立たせることが、肝要だと思います。何も有名人でなくともいいのです。無名の人でも立派な人生観を持ち、人知れず宗教・芸術などの分野で、大きな力を注いでいる人が大勢います。今回は、私が尊敬し、御詠歌を御一緒に倣っている人のお話をしてみましょう。

F・M女史(90)。満90歳になっても、手足は達者で、頭脳も明晰です。「度胸泰然」という言葉が似あう女武者の様なお方です。出身は千葉県・銚子。ご主人と結婚されてから、東京暮らしが始まり、様々な生活体験をされるのですが、なかでも、神仏への信仰は徹底されたもので、私たち求道者にとっては学ぶところが多々あります。

ご両親が、社寺参詣に連れて行かれたのが6歳のころ。此の時、子供心に「仏さまの”行者”になってみたいな」と憧れのようなものを感じたそうです。そして歳を経る毎に、行者への想いは、強くなり、40歳代のころ、長谷川という当時の山伏の第一人者に師事し修験行者になるべく、「3年修行」という修行に挑戦したのです。そして住まいがある東京・目黒から高尾山口まで、毎日かかさず山を登り、蛇滝の行場で修行をしました。
しかし嫁ぎ先のご両親が病気になり看病のため修験の修業は中断せざるを得ませんでした、がお山には今日まで50年間、通いつずけています。当初は、毎日の登山でしたが暫時、回数が減り、今では月3回、お山にお参りしているとのことです。そして今、彼女は、高尾山・薬王院の裏の「奥の院」管理の奉仕行に精を出されています、


F・Mさんは、ご主人様とお二人で140坪の敷地内に60坪の建物を構えておられましたがご主人がお亡くなりになる前に、自分たちの居住域とアパートを作られています。しかし今回、彼女は自分の年齢を考え、目黒を引き払い東京・東村山市の「ホーム」に入居しています。

御詠歌は、5年前に私たちの高尾山・薬王院の御詠歌講に、参加されました。さすが、戦中派のご婦人だけあって、その佇まいは凛としています。会員諸氏にとって、母親の様な存在になっています。身辺に起こる些細な事でも、素早く察知して的確な指示をされます。(これが教えられるんですね)常に話題豊富話で話のタネは尽きません。

以下福島さんのお話です。
「私が元気なのは、お不動さんの『お蔭』よ。今年になって、駅の階段で仰向けに転び、滑り落ちても傷一つ負わず、そのまま歩けたのもお不動さんのお陰よ。お不動さんは、何時も見守って助けて頂く。有り難いものですよ。」
「声を出すことは、健康にいいことです。一日に、3人から7人の人に会うことです。ほんの、挨拶程度でいいんです。」
「大事なことは、前向きに考え、何事にも興味を持つこと。私は「写仏」を習っています。旅に出るのも健康の秘訣でしょうね。両膝とも人工関節ですが、80歳代半ばから奈良県・金峯山寺に、年2回参詣に行ってます。そこの急階段の奥の院も参詣できています。」
「私は、家に閉じこもっている人を見ると気になる性分で、声を掛けずにいられない性分です。」

人は、誰でも沢山の「物語」をもっています。また、毎日、新しい「物語」を、丁度布を織るように、紡いでいっています。「物語」を紡いでいると。成程、あの時は、そうだったのかと、記憶がよみがえります。
この力を大事に育ててゆきましょう
彼女の入所している「ホーム」に彼女の人生を、的確にとらえた色紙がありました。
「ご縁で結ばれ広がる人生」
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