福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

東洋文化史における仏教の地位(高楠順次郎)・・その19

2020-09-24 | 講員の活動等ご紹介
それから学問としての仏教でありますが、倶舎(説一切有部の見解.すべての存在の元(法)は刹那において生・住・異・滅と生滅変化しているけれども、過去・未来・現在にわたって実在する、とする)唯識(あらゆる存在は主観的な存在であり客観的な存在ではない。即ち、それら諸存在は「空」であり、実体のないものであるとする説)というような類、そういう類の註釈というものが仏教研究には大事なものでありますが、これは多くはシナで述作せられたものがシナには殆どなくなった。で赤松連城師、南條文雄博士が日本でかかる註釈を写して次第にシナに送って、そして南京の楊文会(ようぶんかい・ウキぺデアによれば楊文会居士は、清朝末期の仏教復興の祖とされ、仏教を当時の新思潮として復興させるのに一役買い、梁啓超や康有為、章炳麟、譚嗣同、太虚らにも影響を与えた。梁啓超は、清末の新思想家で、仏教と無関係な人士は存在しない、とまで述べている)がこれを出版して支那の学者は倶舎、唯識の論釈を読むことが出来るようになって、近頃唯識学者も出て研究もしております。玄奘三蔵以後に出来た唯識の研究書が本場のシナには紛失しておったのが日本には全部残っておった。でそれはシナにはなくて日本にばかりあるものと思っておりましたが、これも敦煌には残っております。こういうようなぐあいにこんなに大切な物が日本にある、その真価が向うの発掘によってますます認められたという形であります。こういうことを綜合して見まするというと、非常に大きな仏教文学というものが日本にあることになるのであります。
 今一つわれわれが忘れてならないことがある。大乗の涅槃経は梵本が一冊も出て来ない。そこで小乗涅槃経によってシナ学者が偽作したものかと疑う人もあった。然るに中央アジアの出土品の中に大乗涅槃経の梵本があった、その後私は高野の無量寿院(現在の寳壽院。院内には、高野山真言宗僧侶の育成を目的とする高野山専修学院がある)で弘法大師筆と称する梵本一軸を発見した。これは大師の筆でなく大師以前のインド人の筆である多分唐筆をもって書いたものらしい。全く大乗涅槃経の梵本の一部であった。(現在高野山霊宝館にある重文・梵本大般涅槃経断簡(大師筆として伝授)は文和三年(1354)宥快が入手したとされる)もはや疑問はないこととなった。かくの如く仏教文学の必要な材料がたくさん存している。そしてそれを精選しての出版も四回も行われている。一つの宗教文学として、こういう偉大な文学を持っている宗教は他にはない。宗教のみならず他の方面にしても一つの題目でこれだけ大きな文学のあるということは他に類例がないであろう。仏教の偉大なる文学ということに西洋人が近頃眼を付け出したのである。
 その文学が写本の侭でも残っており、大刊行物として精選して出した物も残っているということも、これも世界に類例のないことである。今まで出版しましたのは校正はするが古来の版本、写本と較べて校合して出版するということをしないのが多いのであります。なぜかと申しますと明の時代に明の皇帝が命じて校合して出したので、それをいまさら校正する必要がない。こういう説が行われた。これは困ったことだと思いました。
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