三時を越えたる如来の日
連休の真っただ中に高野山に半年ぶりにお参りしてきました。久しぶりに結縁灌頂も行われているということもあるのか御廟も大変な混雑ぶりでした。いつもは人気のない未明に正面で跪いて心ゆくまで拝むのですが、今回は日帰りなので昼前に御廟に着き、人込みから離れた端の方の経蔵の近くで土下座して理趣経を上げました。やはり何とも言えずありがたいものです。この日は晴天で光が御廟の金の睡蓮に中って眩しいくらいです。最近あることで神仏に不服をいう気持ちが抑えきれなかった時もありましたが、ここに来るとそんな愚かな気持ちは吹き飛びます。ただただ霊気に打たれて無心になれます。やはり時々は御廟にきて霊気の中で俗世の愚かな汚れを昇華する必要があると改めて感じました。師僧のお墓の掃苔もし、当家の墓参りもしました。墓にお供えした菊の花びらの一枚を水鉢に浮かべて読経すると花弁がクルクルと回ります。先祖も喜んでくれていることがわかります。空を見上げると抜けるような青空で高野山ではいつものことですが、大日経住心品の「三時を越えたる如来の日、 加持の故に 身語意平等句の法門なり」 という句を思い起こさせます。