福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

修験宗旨書・・・26

2017-12-26 | 諸経
修験宗旨書・・・26
最多角念珠(いらたかねんじゅ)事第六通(最多角念珠も煩悩(念)即覚り(珠)をあらわす。)夫れ修験の念珠とは,念とは己心実相の智、珠とは本覚真如の理なり。故に実相真如の内証この念珠に接す。秘記にいわく、念とは念念続起の煩悩、珠とは起念即法界の理なり。起念即法界の心地に安住すれば衆生煩悩の迷体全く周遍法界一念不生の覚体なり。起念即不生、不生即起念、一体不二なり。故に釈にいわく、「起妄・息妄、二倶に是れ妄」。この妄とは妄執なり、起念全く衆生なり。執また妄なり。この執を離れるを中道という。この理観を以て所願を祈る、三宝感応道交して速やかに現当二世の悉地を成就す。口にいわく、念珠とは百八の珠なり、百八煩悩を表す、大論にいわく、百八煩悩とは衆生の六根に各各六根を具足すれば三十六なり、之を過現未の三世に配して百八煩悩也。口決にいわく、念珠の形一一に皆
最多角なるは智剣を表す、智は覚なり、覚は菩提なり、是則ち煩悩即菩提の義を表す。次に母珠とは仏界、緒留とは衆生なり、生佛平等の義を顕す。母球より七辺に到る、一切成弁の義なり、七辺は風輪已上の七穴を表し、七辺より二十一辺に到るは三世覚満の義なり。二十一辺より緒留に至って三十三珠なり、普門応身の三十三身を表す。一方は仏界、一方は衆生界なり。念珠を繰ることは転凡入聖の義なり。木槵子にいわく、「木槵子を百八貫いて以て自ら手に随って百八の結業を断除することをうる」と。故に念珠を摺るは頓に百八煩悩を嶊滅する義なり。裏書にいわく、當道の念珠に弟子を著ることあり(念珠につく20個の小玉)。吾が高祖大日如来は無相法身独一無伴の位なる故なり。右一一の表示は皆衆生念力の形なり。全く心外の想を作すこと莫れ。念珠の功能経説目して委しく之を知るべきなり。諸師の異説区なりといえども修験所要の大要を顕す。新客に之を説くこと莫れ。


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