福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

四国八十八所の霊験その40

2014-06-09 | 四国八十八所の霊験
26番金剛頂寺は25番津照寺から4kmですぐつきます。古色蒼然としてはいますが、大師が創建されたとの伝えのある大寺。本堂右手林の中に智光上人廟があります。


寺の掲示板に「金剛頂寺二代目智光上人は弘法大師伝によると『世にかくれたる聖人二人あり 一人は大和室生寺の堅恵大徳 一人は土佐金剛頂寺の智光上人 堅恵は知恵第一の人 智光は行第一の聖人』智上光人はかって弘法大師禅定の当時根本樹下の法窟にこもり一生山を出でずして精進修行をし大師が承和二年三月二十一日高野山に御入定と知るや御後を慕いて同年四月二十一日この地に大師と同様黙然として入定留身されたと伝えられ千有余年の今日なお智光上人御廟は清浄なる聖域として人々の尊敬と信仰を集めている」とありました。

  入定というのは衆生済度のため肉身を現世に永遠にとどめることをいい、何年にも渡る木食行、五穀断、十穀断のあと石室に入り断食しつつ修法し、そのまま永久に窟中に留まることをいいます。我々遍路はお大師様が高野山に入定されているという信仰をもっているのですが平家物語にも大師入定のことが記述されています。即ち「高野の巻」に「大師、(延喜)帝の御返事に、『我、昔薩埵に会ひたてまつり、まのあたりことごとく印明をつたへ、無比の誓願をおこして、辺地異域に侍る。昼夜に万民をあはれんで、普賢の悲願に住す。肉身に三昧を証して、慈氏の下生を待つ』とぞ申させ給ひける。かの摩訶迦葉の鶏足の洞にこもり、鷲頭の春の風を期し給ふらんもかくやとぞおぼえたる。」とあります。後でも述べますが「弘法大師行状要集」に雲居寺の膽西上人が大師の金剛頂経をもっておられたがこの奥付にこの句「我昔会薩埵・・」の句が大師筆で書かれていたと書いてあります。また、「金剛頂寺文書」によると、康元4年(1259)3月22日行者常徳が衆生済度を願い室戸岬より渡海という記録があるようです。入定僧に渡海僧、凄い行者を輩出した寺です。 参道にも霊気がみなぎっていました。
 17年には、この霊気の中、秋の午後の木漏れ日を経本に受けつつ、人気のない境内で苔むした大師堂の縁に座し、一人理趣経をこころゆくまで読誦しました。そしてこの夢の様な一瞬をまたいつか追体験できるだろうかとふと思いました。
 するとだれもいない大師堂の中でコトリと音がしました。
大日経疏によればおよそ行をする時その行が成功したのかどうか、仏様に受け入れられたのかどうかは必ず徴があるとされています。
わたしの場合は行にも入りませんがこの音を聞いて「なにごとのおわしますかはしらねどもかたじけなさに涙こぼるる」(天台慈円僧正)思いでした。
そして本当に不思議で有り難いことにこのあと2度、3度とここにお参りする御縁を頂き、其の上四国霊場会会長でもあられ24年には豊山派の宗務総長にもなられたここの坂井大僧正様にも知己をえることができ東京で法話を頂くこともできました。仏縁の有難さにただ泪するばかりです。
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