福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

靖国神社今月の社頭掲示「すみ子へ」

2021-05-06 | 先祖供養

靖国神社今月の社頭掲示

https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=&cad=rja&uact=8&ved=2ahUKEwiT0ZC16q7wAhWry4sBHd0qDXsQFjAAegQIAhAD&url=https%3A%2F%2Fwww.yasukuni.or.jp%2Fhistory%2Fwill.html&usg=AOvVaw1XlBpPheLX7o1k8qeqQmfA

 

「すみ子へ

陸軍少尉 斎藤一六命 昭和20年3月10日 スマトラ島パレンバンにて戦死。三十一歳。大分県別府市出身。

我は大君の赤子なり。今大君の御為果つるは男の本懐なり。御前も軍人の妻 覚悟は有りしと信ず。決して嘆くべからず。我なき後は小生の分まで御両親に孝行たのむ。大野の父を呉ぐれもたのむ。又、孤独になりしすみ子 両園らば結ぶべし。南方の空より最愛のすみ子の幸福を祈りつつ。

昭和十八年十一月十八日   」

(パレンバン空挺作戦という有名な作戦があります。開戦直後の1942年2月14日、「空の神兵」と謳われた大日本帝国陸軍の空挺部隊である第1挺進団挺進第2連隊が、オランダ軍が守備するパレンバン油田・製油所と飛行場に対し奇襲落下傘降下、これらをほぼ無傷で占領しました。パレンバン油田はその後ずっと貴重な石油を供給し続けました。其の後、インドネシアの日本軍は結果として8月15日の降伏までインドネシアの支配権を持ったままでした、にもかかわらず 18年の時点ですでにこの斎藤一六命は戦死を覚悟していたのです。当時の軍人の覚悟のほどが偲ばれます。)

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