(無常の観想について)いかに観ずるかというと、先ず世間の法はみな因縁より生じたものだ、因縁より生じたものには自性がない、自性なき者は無常である。「あすありと思う心の仇桜夜半に嵐の吹かぬものかは」。明日も桜の花が咲いておるともうても今夜雨が降ったり風が吹いたら明日は花はなくなる。その如く一切無常ならざるものはない。無常なるものは必ず無我である。・・お互い死なぬつもりで春は花、秋は月にと戯れて己が己がと我慢を出しておるが「我」という常住のものはない。自性がないから常に無常に遷されておる。ゆえに一度はどうしても死ななければならぬ。これが無常の証拠である。「我が世たれぞ常ならむ」。この我でさえ自分のものでないのにどうして世間が常住であろうぞ。常住でないものによると皆苦である。かかる無常無我の世の中において常住なり、我ありと執して己がもの己が権利などと云うが有為の迷いということじゃ。「有為の奥山けふこえて・・」有為とは無常のこと。無常な所には苦がある。その苦を越えねば涅槃へいくことは出来ぬ。ここで苦において三種ある。云く、苦苦、行苦、壊苦これである。苦苦とは苦の上にも苦があること。行苦とはいかに楽しいというてもこの三界に居る間は必ず苦があること。壊苦とは出来たものは必ず壊れるということ。・・空とはなにかというとこの有為の境界は通り越してしまって涅槃の里にいたり、浅き夢をみぬようにしたい。空とはなにかというとこの有為の貪瞋痴を断じてしまって諸法皆空の涅槃に至ることである。
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