Q,修行者がややもすると魔道に堕ちることがあるといわれるが如何?
A,外からくる外魔、自分の中に生まれる内魔といろいろあるが要はびくびくしないことが肝要。
夢中問答集(無窓疎石)より・・・18
問、仏法を行ずる人ややもすると魔道に入るともうすことはいかなる故ぞや。
答、仏道の障りとなる者をば魔業と名ずく。魔業を成ずれば必ず摩道に入る。大般若経の魔事品、首楞厳経、及び天台の止観の中に詳しく明かせり。‥要をとりてこれを言はば、魔に二種あり。内魔と外魔なり。魔王・魔民等の外より来たりて行者を悩ますをば外魔と名ずく。その魔王は欲界の第六天にあり。これを天魔と号せり。世の常、天狗なむど言へるは即ち魔民にあたれり。彼の魔王は三界の衆生を眷属と思へり。この故に仏道に入る者をばこれを障礙するなり。しかればすなわち世事にのみ執着して仏道修行の等閑なる人は生死を出ずることあるまじきゆえに天魔これを障礙せず。魔は皆飛行自在を得て身より光を放ち過去未来のことを知りて佛菩薩の形を現じ、法門を説くこと弁論とどこほりなし。
涅槃経の中にいはく、阿難一日外より来る、その途中にして九百万の天魔、皆仏身を現ずること釈尊に異ならず。各々法門を説いて互ひにそしりあへり。阿難茫然として、本師世尊はいずれともわきがたし。そのとき世尊これをかんがみて、文殊に勅して神呪を誦せしむ。天魔みな退散すと言ふ。阿難なほ迷惑することかくの如し。いはんや愚人をや。天魔よく仏身を現じ仏説を述ぶ。いはんや余形を現じ余事を説くこと何のさまたげかあらんや。世間に花を降らし、光を放つとてこれを貴としといふものあり。魔道に入ること疑ひあるべからず。
かやうに外魔の来たりて悩ますことはなけれどももし行人の心中に煩悩を生じ悪見に着し、慢心を起こし、禅定にふけり、知恵に誇り、あるひは二乗心に堕して独り自ら出離せむことを求め、或ひは愛見の大悲に住して利生を好む。みなこれ無上菩提の障りなるがゆえに、すべてこれを内魔と名ずけたり。或いは病患によりて道行を退転し、或いは業縁に遇ふて身命を亡ぼす、故に道行を成ぜず。皆是れ魔境なり。或いはけしからずの道心おこりて暫時のいとまも惜しく悟りのおそきことの歎かしきによりて日夜に涙のこぼるることのあるも魔障なり。また日にそへて懈怠の心のみ増長してたまたま修行せむとすれども不食の病あるひと(食事できない人)の食に向かへるがごとくなるも魔障なり。・・善知識の行儀に過非あることを見てその正法を捨てこれを遠離するも魔障なり。貪瞋等の煩悩の強盛に起こることも魔障なり。煩悩の生ずるをおそれて嘆き悲しむも魔障なり。かやうの魔障の起こること、あるひは行者の用心の邪なるのよりて生ずることもあり、或いは用心真正なる故に諸障の滅せむとして発動することあり。たとへば燈の消むとするとき光をますが如し。いずれの篇にても驚動の心なくば謬利あるべからず(びくびくしてなければ大丈夫)。
A,外からくる外魔、自分の中に生まれる内魔といろいろあるが要はびくびくしないことが肝要。
夢中問答集(無窓疎石)より・・・18
問、仏法を行ずる人ややもすると魔道に入るともうすことはいかなる故ぞや。
答、仏道の障りとなる者をば魔業と名ずく。魔業を成ずれば必ず摩道に入る。大般若経の魔事品、首楞厳経、及び天台の止観の中に詳しく明かせり。‥要をとりてこれを言はば、魔に二種あり。内魔と外魔なり。魔王・魔民等の外より来たりて行者を悩ますをば外魔と名ずく。その魔王は欲界の第六天にあり。これを天魔と号せり。世の常、天狗なむど言へるは即ち魔民にあたれり。彼の魔王は三界の衆生を眷属と思へり。この故に仏道に入る者をばこれを障礙するなり。しかればすなわち世事にのみ執着して仏道修行の等閑なる人は生死を出ずることあるまじきゆえに天魔これを障礙せず。魔は皆飛行自在を得て身より光を放ち過去未来のことを知りて佛菩薩の形を現じ、法門を説くこと弁論とどこほりなし。
涅槃経の中にいはく、阿難一日外より来る、その途中にして九百万の天魔、皆仏身を現ずること釈尊に異ならず。各々法門を説いて互ひにそしりあへり。阿難茫然として、本師世尊はいずれともわきがたし。そのとき世尊これをかんがみて、文殊に勅して神呪を誦せしむ。天魔みな退散すと言ふ。阿難なほ迷惑することかくの如し。いはんや愚人をや。天魔よく仏身を現じ仏説を述ぶ。いはんや余形を現じ余事を説くこと何のさまたげかあらんや。世間に花を降らし、光を放つとてこれを貴としといふものあり。魔道に入ること疑ひあるべからず。
かやうに外魔の来たりて悩ますことはなけれどももし行人の心中に煩悩を生じ悪見に着し、慢心を起こし、禅定にふけり、知恵に誇り、あるひは二乗心に堕して独り自ら出離せむことを求め、或ひは愛見の大悲に住して利生を好む。みなこれ無上菩提の障りなるがゆえに、すべてこれを内魔と名ずけたり。或いは病患によりて道行を退転し、或いは業縁に遇ふて身命を亡ぼす、故に道行を成ぜず。皆是れ魔境なり。或いはけしからずの道心おこりて暫時のいとまも惜しく悟りのおそきことの歎かしきによりて日夜に涙のこぼるることのあるも魔障なり。また日にそへて懈怠の心のみ増長してたまたま修行せむとすれども不食の病あるひと(食事できない人)の食に向かへるがごとくなるも魔障なり。・・善知識の行儀に過非あることを見てその正法を捨てこれを遠離するも魔障なり。貪瞋等の煩悩の強盛に起こることも魔障なり。煩悩の生ずるをおそれて嘆き悲しむも魔障なり。かやうの魔障の起こること、あるひは行者の用心の邪なるのよりて生ずることもあり、或いは用心真正なる故に諸障の滅せむとして発動することあり。たとへば燈の消むとするとき光をますが如し。いずれの篇にても驚動の心なくば謬利あるべからず(びくびくしてなければ大丈夫)。