福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

四国88カ所遍路の旅~その九~

2016-03-23 | 講員の巡礼(お四国他)ほか投稿
四国88カ所遍路の旅~その8~51番札所 石手寺

石手寺は、かつて松山に行った折り尋ねた。1回目は、「奥道後」への旅の途中で。2回目は、「龍馬脱藩の道」を辿る旅の時に。あれから月日がたち、今回は四国88カ所お遍路の旅、51番札所として再び石手寺を訪ねた。

「生老病死」この言葉が心に響く年齢になった。今までの生き方を反省し、残された人生をどう生きていったらいいのかといったことを自問する旅でもあった。巡礼仲間には、若い人もいる。写経を納め、仏に手を合わせて読経している姿に感心している。生きることに精一杯で、忙しい日々を送り、時には仏にすがっても、巡礼までは思い至らなかった自分の若い時と重ね感慨深い。

バスでのお遍路旅であるが、愛媛「菩提の道場」の51番まで来られたのもありがたいことで、お大師様のおかげと感謝。石手寺の入口には、お遍路の元祖とされる土下座をしている「衛門三郎」の像がある。

「衛門三郎」は地方の長者。托鉢に訪れた弘法大師に喜捨をせず、鉢を投げ捨てたところ、8人いた子供が次々に亡くなった。非礼を後悔し、弘法大師を追って四国巡礼の旅に出る。21回目に病に倒れ、その死の床で弘法大師が現れ、三郎は非礼を詫びた。大師が「衛門三郎再来」と書いた石を彼の手に握らせたところ、安心して息を引き取った。その後、伊予の豪族に長男が生まれたが、手を固く握って開こうとしない。そこで、この寺に祈願をしたところ、「衛門三郎再来」と書かれたた石が左手から出てきたそうだ。

初め法相宗の「安養寺」と称していたが、「石手寺」と改称したのは、右衛門三郎再来の説話によるとされる。(四国88カ所霊場ホームページによる)

   

51番札所   石手寺
本 尊:    薬師如来
開 基: 行基菩薩

屋根のある参道を抜けて、二王門。(仁王門でなく、ここでは二王門という)大きなわらじが目を引く立派な造りのこの門は、国宝。この正面に本堂、横に大師堂。本堂、大師堂で納経。

   

境内は広く、木々に囲まれた、三重塔・護摩堂・愛媛県最古の銅鐘がある鐘楼・訶梨帝母天堂など多くの建物があり国の重文に指定されている。巡礼者や観光客が多く、お線香の煙に包まれていて、「伊予の秋石手の寺の香盤に海の色して立つ煙かな」と与謝野晶子も詠んでいる。

境内を取り囲んでいる大木の、浅緑や黄色の芽吹き始めた彩りが、陽に映えて光る。ひとときの風に誘われて、春紅葉が、肩に降りかかる。境内の中でもすぐに目に入る三重の塔の前には多くの千羽鶴がつるされているが、その上に屋根があるのも嬉しい。木々の根本等に、「自他共に救う大師」「再生」などの立て看板。他に反戦や戦没者慰霊の看板も見える。

境内のすぐ後の山を背景にしたこの寺は、一人一人が想いを抱え、ここまでたどり着く。それを受け止めてくれる寺のようでもあった。又石手寺の境内にある山をくりぬいた洞窟「マントラ洞」がある。この中には様々な仏像が安置されていて、巡礼をする事が出来る。洞窟の奥には、出口があり、マントラ塔もある。

このお寺では、パンフレットと「本来の仏教ブツダの真実…石手寺住職執筆」の冊子を頂いた。他にも東日本大震災の被災地や難民キャンプ訪問、また追悼と平和の祈りなど様々な活動をされていると言う。「自分に痛みがあるように他人にも痛みがあることを知り、自分の出来ることをする。仏様は、この世で苦しんでいたら、どの人であっても全てを救い見捨てない。」ご住職の言葉は石手寺の活動を良く伝えていて心に響いた。
                           ~つづく~     K&K.S
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