17年には途中の伊予三島までは電車にすることにして石槌山駅にでるとベンチに雑誌がおいてありました。そこには信仰心の厚い自衛隊幹部の話がのっておりこの人の口癖は「万事好都合」と「絶対大丈夫」の二つだと書いてありました。すばらしいことばです。
この後これに通ずる現象に次々と遭うことになりました。石槌山駅の土手のホームに座っていると一面の麦畑の上を春風が若草の香りを運んできました。陽光の中、雲雀が囀っています。英の詩人ブラウニングの「春の朝」(上田敏訳)を思い出しました。「時は春、日は朝、朝は七時、片丘に露みちて、揚雲雀なのりいで、蝸牛えだにはい、神空にしろしめす、すべて世は事もなし」です。
1回目の遍路の時、伊予三島の遍路宿で遍路装束を干すために出た宿の屋上からは満月と夕日と海が見えました。今まで海と言えば太平洋ばかりでしたが、終に瀬戸内海が見えるところまできたのだと感無量でした。この光景は遍路の12年後の今までまぶたに焼き付いています。よほどうれしかったのでしょう。
久しぶりに部屋でTVをつけると俳優滝田栄の母の話がでていました。
彼女は重い心臓病で滝田の出産は母体生命に危険を及ぼす状況だったそうです。
しかし成田不動に願掛けして無事滝田を産んだと言うことでした。
またその後も滝田の大成を祈願していたところNHKの大河ドラマに抜擢されたということでした。
リンカーン、三井正友、岩崎弥太郎、野口英世、遠藤周作などにみるように信仰深い母に育てられた子は信仰深い人生を歩んでいます。そしてまた信仰深い親になります。信仰は遺伝されていくのです。道中で話をした四国遍路も多くが信仰深い家庭に育っていました。祖母の昔の納経帳をもってきている人、母が四国遍路にあこがれていたが果たせなかったので来たという人、等です。
私自身もお寺の生まれとは言いながら大師信仰は若くして亡くなった母から植え付けられたものでした。 母は折ある毎に「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」と唱え、「お大師様は有難い」「お金がない時、お大師様にお助けを頂いた」と寺に来る人ごとに説いていました。
二回目の19年春には伊予三島の「高雄」という旅館にとまりました。玄関に老夫婦がにこにこしながら出迎えてくれました。素泊まり3,000円です。しかもお婆さんが洗濯してくれて私のパンツの緩いゴムまでつけかえてくれました。 感激恐縮してお礼に納札と心ばかりのお金を渡そうとするとご主人は血相を変えて「それだけは」といってお金を押しかえしてきます。結局お礼を言って納札だけ渡しました。四国の人は素朴で頑固です。
65番三角寺へはこの遍路宿から4kmくらいですが翌朝は5時ころでました。 山にのぼる入り口で迷ったりしたせいか三角寺を15分も行き過ぎ次の66番雲辺寺への道標があるところまで来てしまいました。道標をみておかしいと気がつきました。まだ6時なので皆寝静まっています。やっと一軒の民家の戸を何度も叩くとおばあさんが出てきて、引き返す路をおしえてくれました。
65番三角寺ではめずらしく3組もお遍路さんがいました。それぞれ大声で般若心経などおとなえしています。最初大声に悩まされてお経を間違えそうになりましたが思い直してこの方たちすべてにお蔭をいただけますようにと願いました。 するとこの人たちの大声のお経が自分のお経のBGMのようにおもえてきてなにか大変ありがたい気持ちになりました。理趣経も間違えることなく読めました。気の持ち方で全く逆の効果になりました。
65番三角寺境内には「このところは大師88所開創の砌、三角の降伏護摩壇を作られし跡なり」との趣旨がかいてあり護摩壇跡だという三角池があります。 お大師様が四国八十八所を開創されるに当たり障碍をなすものを降伏するために降伏護摩をたかれたのでしょう。
護摩(ごま)とは、サンスクリットのホーマを音訳して書き写した語です。息災、降伏、増益、敬愛の4種の護摩があります。
護摩木に火を点じ、火中に供物を投じて主にお不動様に祈願します。護摩木は煩悩をあらわしそれが燃える火は智慧をあらわします。すなわち煩悩という材料を燃やして智慧の火が輝く構造になっています。煩悩即菩提(迷いが覚りの材料)ということが護摩で即物的にわかります。
私も暫く護摩行をおこなっていました。これは高野山での数十年前の加行のとき真別所の不動の滝に100日間打たれたご縁によるものだろうと有難くおもっています。その時、或る婦人が突然現れて私の護摩の火を写真に撮り後で見せてくれたことがありますがそこにはなんと観音様が映っていたことがありました。難とも有難い不思議なことでした。いまでも写真は壇にお祀りして朝夕拝んでいます。
多くの人の護摩札も祈願しましたが選挙の日に祈願してその人が当選したこともありました。
65番三角寺のご詠歌は「おそろしや、みつのかどにも、いるならば、こころをまろく、じひをねんぜよ」です。