福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

「太平記」正成天王寺未来記披見の事

2023-10-28 | 諸経

「太平記」正成天王寺未来記披見の事

 

元弘二年八月三日、楠木兵衛正成住吉に参詣し、神馬三疋献之。翌日天王寺に詣でて白鞍置いたる馬、白輻輪の太刀、鎧一両副(そへ)て引き進(まゐら)す。これは大般若経転読の御布施なり。啓白事終て、宿老の寺僧巻数を捧げて来たれり。楠木則ち対面して申しけるは、「正成、不肖の身として、この一大事を思ひ立ちて候ふ事、涯分を不計に似たりといへども、勅命の不軽礼儀を存ずるに依つて、身命の危ふきを忘れたり。然るに両度の合戦聊か勝つに乗つて、諸国の兵招かざるに馳せ加れり。これ天の時を与へ、仏神擁護の眸を回さるかと思え候ふ。まことやらん伝へ承うけたまはれば、上宮太子の当初(そのかみ)、百王治天の安危を勘(かんがへ)て、日本一州の未来記を書き置かせ給ひて候ふなる。拝見もし苦しからず候はば、今の時に当たり候はん。巻き許り、一見仕り候さふらはばや」と云ひければ、

 

宿老の寺僧答へて云はく、「太子守屋の逆臣を討つて、始めてこの寺を建てて、仏法を弘められ候ひし後、神代より始めて、持統天皇の御宇に至るまでを記されたる書三十巻をば、前代旧事本記とて、卜部の宿祢これを相伝し有職の家を立て候ふ。その外にまた一巻の秘書を留られて候ふ。これは持統天皇以来末世代々の王業、天下の治乱を記されて候ふ。これをば輒く人の披見する事は候はねども、別儀を以て密かに見参に入れ候ふべし」とて、即ち秘府の銀鑰を開いて、金軸の書一巻を取り出だせり。正成悦び則ちこれを披覧するに、不思議の記文一段あり。その文に云はく、

「当人王九十五代。天下一度び乱れて而主不安。この時東魚来つて呑四海。日没西天三百七十余箇日。西鳥来たつて東魚を食す。その後海内帰一三年。如獼猴者掠天下三十余年。大凶変じて帰一元。云々」。

正成不思議に思へて、よくよく思案してこの文を考ふるに、先帝(第九十六代後醍醐天皇)既に人王の始めより九十五代に当たり給へり。「天下一度ひとたび乱れて主不安」とあるはこれこの時なるべし。「東魚来たつて呑四海」とは逆臣相摸入道(鎌倉幕府第十四代執権、北条高時)の一類なるべし。「西鳥食東魚」とあるは関東を滅ぼす人可有。「日没西天に」とは、先帝隠岐の国へ被遷させ給ふ事なるべし。「三百七十余箇日」とは、明年の春の頃この君隠岐の国より還幸う成つて、再び帝位に即かせ可給事なるべしと、文の心を明らかに勘るに、天下の反覆久しからじと憑もしく思えければ、金作こがねづくりの太刀一振りこの老僧に与へて、この書をば本の秘府に納をさめさせけり。後に思ひ合はするに、正成が勘(かんが)へたる所、更に一事も不違。これまことに大権聖者の末代を鑒て記し置き給ひし事なれども、文質(([忠質文]=[忠は夏、質は殷、文は周。の優れた学識]))三統([三統説]=[天統=夏、地統=殷、人統=周というように「三」を周期に王朝が循環するという説])の禮変、少しも違ざりけるは、不思議なりし讖文(予言を記した文書)なり。

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