方便を略説せば四種あり。云何爲四。
一は行根本方便なり。一切法の自性は無生なりと観じて、妄見を離れて生死に住せず、一切法は因縁和合にして業果不失と観じて大悲を起こして諸福徳を修し、衆生を攝化して不住涅槃なるをいう。法性の無住なるに隨順するを以ての故なり。
二は能止方便。慚愧悔過し、能く一切惡法を止めて増長せしめざるをいう。法性の諸
過を離れたるに隨順するを以ての故なり。
三は善根を發起して増長する方便なり。勤めて三寶を供養禮拜し、諸佛を讃歎・隨喜・勸請するをいう。三寶を愛敬する淳厚心を以ての故に、信は増長するを得て、乃ち能く無上の道を志求すればなり。又た佛法僧の力に護らるるに因るが故に、能く業障を消して、善根不退なり。法性の癡障を離れたるに隨順するを以ての故に。
四は大願平等の方便なり。所謂、發願して未來を盡くすまで、一切衆生を化度し、餘りあること無からしめて、皆な無餘涅槃を究竟せしむるものなり。法性の斷絶することなきに隨順するをもっての故なり。法性は廣大にして一切衆生に偏じ、平等無二にして彼此を念ぜず、究竟して寂滅なるが故なり。
(修行方法には四種ある。
第一は行の基本。即ち㈠一切の現象は本不生であると感得し謝った見方を離れ、生死に執着しないこと。㈡一切の現象は因縁によるもので業の結果は消滅することはないと感得して大悲心を起こして種々の福徳を集めては衆生に廻向して摂化につとめ涅槃に安住しない。これは諸法の本性は本来生死にとどまるものではないということを受け入れるからである
第二は悪行防止のための修行方法である。すなわち自己の行為を慚愧悔過し、一切の悪行をなさず、増やさないように努力すること。これは人々の本性は本来間違いを離れているからである。
第三は、積極的に善根を起こし増長させるように修行することである。勤めて三宝を供養し、諸仏を讃歎・隨喜・勸請することをいう。三寶を愛敬する淳厚な心を以ての故に、信は増長することを得て無上の覚りを目指すようになるからである。又た佛法僧の力に護られるために能く業障を消すことができ、善根も退かないのである。これは法性が癡障を離れていることを受け入れるからである。
第四は利他の大願を平等に抱くことである。すなわち發願して未來を盡くすまで、一切衆生を教化して皆な無餘涅槃をえさしめようと願うものである。これは法性が斷絶することはないということを肯定するからである。法性は廣大にして一切衆生に偏じ、平等無二にして差別せず、究竟して寂滅なるゆえである。
最新の画像[もっと見る]
- 金剛頂瑜伽中發阿耨多羅三藐三菩提心論 9ヶ月前
- 一日は定光佛・熱田大明神・妙見様・天神と地神の日 3年前
- 万人幸福のしおり 4年前
- 佛説彌勒大成佛經 (全巻書き下し) 4年前
- 四国八十八所の霊験・・・その97 6年前
- 四国八十八所の霊験・・・その92 6年前
- 四国八十八所の霊験・・その89 6年前
- 四国八十八所の霊験・・・その88 6年前
- 四国八十八所の霊験・・・その83 6年前
- 四国八十八所の霊験・・・その76 6年前