「小乗の説では「業」が人生の根本という。(しかし業を為すものは何かということが説かれてない)
権大乗・法相家の説に依れば阿頼耶識という心的存在が万物の本源にて・・一切衆生尽くこの識を本として存在する。これが生の本体である。(しかしこの説も終局的真理ではない)
一乗教によれば、一切衆生心の体は仏性とも如来蔵とも名けて個々の本体は絶対唯一の心性体である。故に自己の心性を開発すれば各々悉くこれ佛である。(心性の帰趣・山崎弁栄)」
権大乗・法相家の説に依れば阿頼耶識という心的存在が万物の本源にて・・一切衆生尽くこの識を本として存在する。これが生の本体である。(しかしこの説も終局的真理ではない)
一乗教によれば、一切衆生心の体は仏性とも如来蔵とも名けて個々の本体は絶対唯一の心性体である。故に自己の心性を開発すれば各々悉くこれ佛である。(心性の帰趣・山崎弁栄)」