第三章 さとりの心
第一節 清らかな心
四、すべての人々には清浄の本心がある。それがほかの因縁によって起こる迷いのために覆われている。しかし、あくまでも迷いの心は従であって主ではない。
月はしばらく雲に覆われていても、雲に汚されることもなく、また動かされることもない。
だから人は浮動するちりのような迷いの心を自分の本性と思ってはならない。
また人は動かされず汚されないさとりの本心に目覚めて、真実の自己にかえらなければならない。浮動する迷いの心にとらわれ、さかさまの見方に追われているので、人は迷いの巷をさまようのである。
人の心の迷いや汚れは欲とその変化する外界の縁に触れておこるのである。
この縁の来ること去ることに関係なく、永久に動かず滅びない心、これが人の心の本体であってまた主である。
客がさったからと言って、宿屋がなくなったとはいえないように、縁によって生じたり滅したりするはからいの心がなくなったぁらたお言って、自分がなくなったとはいえない。外の縁によってうつりかわるはからいは、こころの本体ではない。
第一節 清らかな心
四、すべての人々には清浄の本心がある。それがほかの因縁によって起こる迷いのために覆われている。しかし、あくまでも迷いの心は従であって主ではない。
月はしばらく雲に覆われていても、雲に汚されることもなく、また動かされることもない。
だから人は浮動するちりのような迷いの心を自分の本性と思ってはならない。
また人は動かされず汚されないさとりの本心に目覚めて、真実の自己にかえらなければならない。浮動する迷いの心にとらわれ、さかさまの見方に追われているので、人は迷いの巷をさまようのである。
人の心の迷いや汚れは欲とその変化する外界の縁に触れておこるのである。
この縁の来ること去ることに関係なく、永久に動かず滅びない心、これが人の心の本体であってまた主である。
客がさったからと言って、宿屋がなくなったとはいえないように、縁によって生じたり滅したりするはからいの心がなくなったぁらたお言って、自分がなくなったとはいえない。外の縁によってうつりかわるはからいは、こころの本体ではない。