今朝いつものように芝大神宮に参拝した後、大門のあたりを歩いているとき突然「父母未詳以前本来の面目」という公案が浮かんできました。
漱石の「門」にも宗助という主人公が「老師」から公案を授けられるところが出てきます。
「『まあ何から入っても同じであるが』と老師は宗助に向って云った。『父母未生以前本来の面目は何だか、それを一つ考えて見たら善かろう』・・」
とういうところです。
そしてなぜか歩いていてこの答えが突然わかったのです。真言宗では「本不生」といいます。要はこれとおなじことだったのです。自分も父母も祖父母も元々生まれてもなかったし、死んでもなかったのですから・・・
漱石の「門」にも宗助という主人公が「老師」から公案を授けられるところが出てきます。
「『まあ何から入っても同じであるが』と老師は宗助に向って云った。『父母未生以前本来の面目は何だか、それを一つ考えて見たら善かろう』・・」
とういうところです。
そしてなぜか歩いていてこの答えが突然わかったのです。真言宗では「本不生」といいます。要はこれとおなじことだったのです。自分も父母も祖父母も元々生まれてもなかったし、死んでもなかったのですから・・・