福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

2歳の行方不明の子を78歳の老ボランテアが発見しました

2018-08-16 | 法話
2歳の行方不明の子を78歳の老ボランテアが発見しました。何度ニュースを見ても感動します。神仏がお守りくださったのだと思います。おもわず仏壇に手を合わせました。この子の運の強さもさることながらこの老人のボランテア経歴もすごいものがあります。25年前からボランテアをしておりほとんど被災地へ行っています。
自分も今回の西日本豪雨のボランテアに行こうとしましたがあるホームページで65歳までと書かれているのをいいことにやめました。この老人のケースを見て恥じ入りました。自分の勇気のなさが悔やまれます。
老人も意志と体力があればまだまだ社会貢献できることをこの方は示してくださいました。昔も年老いても活躍した多くの僧俗がいました。


・真言第一祖の龍猛は300歳、二祖の龍智は700歳まで生きて衆生済度に努めたとされています。
・真言五祖善無為は中インドのマガダ国王であったが出家し80歳で印度から中国に来て唐の玄宗皇帝の帰依をうけ長安で大日経を伝え訳しています。
・福増は120才にしてお釈迦様に弟子にしていただいたといいます。福増は「出家の功徳は造塔の功徳に勝る」と聞き「120才の耄及なれどもしひて出家受戒し、少年の席末につらなりて修練しついに大阿羅漢となれり」。(正法眼蔵 出家功徳)とあります。
・お大師様の弟子で四国三十五番清滝寺の二代目住職をつとめられた真如法新王は862(貞観六)年64才で入唐されさらに印度を目指されました。そして78才のとき羅越国(所在についてタイ中部説、中部インド説、マレー半島説等有り)でなくなりました。
・延久4年(1073)には成尋が60歳過ぎて円珍の足跡を慕って入唐しています。(成尋は宋の神宗皇帝の命を受け、雨乞いの祈祷をし成功、善恵大師と賜号されています。)
・大唐西域記によるとカニシカ王朝時代の脇尊者は80歳で出家し、脇を床につけることなく修行し3年で悟ったといいます。その後禅の第10祖となっています。(沙彌律儀要略註には脇尊者は一生脇を蓆に着けず。西域記に云う。尊者は中天竺の人。本名は難生という。胎にあること六十年にして始めて生れる故に。至八十歲。九祖伏駄尊者に投じて出家す。時に年少の比丘誚けりて曰く。「出家之業は、一に則ち習禪。二に則ち誦經。汝今衰老す。何所取進。尊者聞之。誓って曰く。「我れ若し、三藏に通じず、三惑を斷ぜず、六神通を得ず、八解脫を具せずんば、終に至蓆の席に脅せずと。九祖の處において、左右に執侍し、未だ嘗って睡眠せず、日は則ち三藏を披閱し、夜は則ち坐禪す。三年之內、悉く所誓を證し第十祖となる。時人敬仰して脅尊者と號す」とあります。このほか多くの大蔵経に出ています。)
・佛図澄は310(永嘉4)年79歳で西域から洛陽にあらわれ117歳まで動乱の華北において布教しています。
・法顕は399(隆安3)年64歳で、長安からインドへ求法の旅に出、70歳でインド、スリランカにわたり、『摩訶僧祇律』『雑阿毘曇心論』『五分律』、『長阿含経』などを得て413年(義熙9年)78歳で海路、青州(山東省)へ帰国しました。『法顕伝』は有名です。
・また唐の禅僧趙州禅師(778 ~ 897)は「狗子に仏性ありや」の趙州録で有名ですが、禅師は18歳で悟りを開かれ、40年余の修業の後、60歳から80歳まで諸国行脚、120歳まで説法を続けたといわれます。
・高野山往生伝にはおおくの僧侶が老年になって修行した例が載っています。清原正国は「武芸を好み悪としてなさざるはなし」という侍でしたが61歳で出家した後は毎日十万遍の念仏を唱え寛治七(1096)年87歳で遷化したということです。
・鎌倉後期の宮廷歌人、正二位権大納言にまでのぼった明釈(1250~1338)は79歳で出家し高野山にのぼりました。俗名を二条為世といい藤原定家の曾孫で二条流の嫡流です。後宇多帝の院宣で「新後撰和歌集」「続千載和歌集」を撰しています。10年後の89歳で寂しています。
・後陽成天皇の弟君大覚寺空性法新王は1638年(寛永15年)65才で遍路をされたことが空性法新王四国霊場御巡行記にかかれています。
・真言以外でも多くの例があります。鑑真和上も56歳で日本渡航を企て6度目66歳にして薩摩につき71歳で唐招提寺をお開きになりました。
・蓮如上人は66歳の1480年(文明12年)に山科本願寺御影堂を完成しています。83歳の時には大坂石山坊舎を建立しました。
・江戸初期の僧隠元は63歳で明から来日しました。
・青の洞門の禅海和尚は49歳で洞門を彫りはじめ三十年後の79歳の時(寛延三(1750)年)に手掘りでトンネルを完成しました。
・俗人の例ですが伊能忠敬は56歳で蝦夷地の測量を始め72歳で日本地図を完成させました。
・21番太龍寺の副住職の話では最近でも70歳で求聞持法という真言宗最高の荒行を成満した人もいるということです。

平成19年で印度滞在40年になる71歳の真言僧佐々井秀嶺師は56歳のときブッダガヤの大菩提寺をヒンズー教徒からとりもどすべく5000kmを数千人を組織してデモ行進しています。73歳の現在もナグプールで印度仏教界の指導者として活躍中です。 孤軍奮闘で今もって大菩提寺返還運動もされています。
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