「復次に、竜王、若し貪欲を離るれば即ち五種の自在を成就することを得」
(昔、波斯匿王にお釈迦様が)十善戒は一日保つことができぬならば朝より昼までたもてばよろしい。その間も保つことがむつかしいとあらば食事の間にても保つがよろしい。其の位な僅かの間でも持つことができぬというわけはない。王曰く、「其の位の事は出来ぬわけではありませぬが外に多くの悪事をなすときはなんの甲斐もなかろうと思います。」仏曰く、「それはそうでない。世界中の薪も一度火を放てば忽ち灰になってしまう。その如く一時間保った功徳に依って無始以来の罪悪を滅することはできるから、ご飯を食べる間なり、百歩を歩む間なりとも十善戒を持つように」と仰せられた。それで意業の上の貪瞋痴が最もむつかしいがもしこれを持てば一切の悪の根本が絶えるから三界六道の根本を断じて無上菩提の仏果に趣くことができる。
(十善業道経にいう「五種の自在」とは「一、三業自在、諸根具足する故に。二、財物自在、一切怨賊奪うこと能はざるが故に。三、福徳自在、心の欲っするところに随って物皆な備るが故に。四、王位自在、珍奇妙物皆奉獻さるる故に。五、獲る所の物、本と求めしところにすぐること百倍殊勝ならん。」です。
ここで釈雲照師は、一瞬でも十善戒を保てば、それまでの業が消えるというのです。こんな有難いことはありません。特に「意業」が難しいとおっしゃっていますが、意識もお経や御寶号をあげているときは無心になれます。この無心の瞬間をできるだけ長く確保すればいいのでしょう。道元さんも「修證一如(修行しているときが覚っているとき)」とおっしゃっています。 慈雲尊者の『十善法語』にも「一日この戒を持てばその日が聖賢の心行じゃ、三日もの戒を持てば三日聖賢の心行じゃ、一生この戒を持てば一生聖賢の心行じゃ、尽未来際この戒を持てば未来永劫聖賢の心行じゃ」とあります。)
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(昔、波斯匿王にお釈迦様が)十善戒は一日保つことができぬならば朝より昼までたもてばよろしい。その間も保つことがむつかしいとあらば食事の間にても保つがよろしい。其の位な僅かの間でも持つことができぬというわけはない。王曰く、「其の位の事は出来ぬわけではありませぬが外に多くの悪事をなすときはなんの甲斐もなかろうと思います。」仏曰く、「それはそうでない。世界中の薪も一度火を放てば忽ち灰になってしまう。その如く一時間保った功徳に依って無始以来の罪悪を滅することはできるから、ご飯を食べる間なり、百歩を歩む間なりとも十善戒を持つように」と仰せられた。それで意業の上の貪瞋痴が最もむつかしいがもしこれを持てば一切の悪の根本が絶えるから三界六道の根本を断じて無上菩提の仏果に趣くことができる。
(十善業道経にいう「五種の自在」とは「一、三業自在、諸根具足する故に。二、財物自在、一切怨賊奪うこと能はざるが故に。三、福徳自在、心の欲っするところに随って物皆な備るが故に。四、王位自在、珍奇妙物皆奉獻さるる故に。五、獲る所の物、本と求めしところにすぐること百倍殊勝ならん。」です。
ここで釈雲照師は、一瞬でも十善戒を保てば、それまでの業が消えるというのです。こんな有難いことはありません。特に「意業」が難しいとおっしゃっていますが、意識もお経や御寶号をあげているときは無心になれます。この無心の瞬間をできるだけ長く確保すればいいのでしょう。道元さんも「修證一如(修行しているときが覚っているとき)」とおっしゃっています。 慈雲尊者の『十善法語』にも「一日この戒を持てばその日が聖賢の心行じゃ、三日もの戒を持てば三日聖賢の心行じゃ、一生この戒を持てば一生聖賢の心行じゃ、尽未来際この戒を持てば未来永劫聖賢の心行じゃ」とあります。)
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