福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

一期大要秘密集・・11

2018-03-21 | 諸経
一期大要秘密集・・11
問ふ。己に阿字と心月と即ち菩提心の體性なることを知んぬ。未だ知らず、この心に幾くの差別ありや。
答。廣すれば則ち無辺なり。略すれば二に過ぎず。一には能求の菩提心、二には所求の菩提心なり。能求の道心とは大日経に云く、自心に菩提心と及び一切智とを尋求す。何を以ての故に、本性清浄なるが故に、と云々。 (  大毘盧遮那成佛神變加持經卷第一入眞言門住心品第一「佛言祕密主。自心尋求菩提及一切智。何以故本性清淨故。心不在内不在外。及兩中間心不可得。・・・」)菩提心論に云く、「我今阿耨多羅三藐三菩提を志求して余果を求めず、と云々。(金剛頂瑜伽中發阿耨多羅三藐三菩提心論、「大廣智阿闍梨云。若有上根上智之人。不樂外道二乘法。有大度量。勇鋭無惑者。宜修佛乘。當發如是心。我今志求阿耨多
羅三藐三菩提不求餘果。誓心決定故。魔宮震動。十方諸佛皆悉證知。常在人天。受
勝快樂。所生之處。憶持不忘若願成瑜伽中諸菩薩身者。亦名發菩提心・・・」)大師の文に云く、「能求の心とは譬ば人あって善と悪とを為さんと欲するにには必ず其の心を標して而して後に其の行を行ずるが如く、菩提を求むる心も亦福かくの如し。既に狂酔して三界の獄にあり、熟眠して六道の藪に臥すことを知んぬ。何ぞ神通の車を駈って速やかに本覚荘厳の床に帰らざらんといへり。早く無明の眠りを覚まして五佛の眼を開き、速やかに煩悩の酔ひを治して四曼の都に遊ばん。所求の道心とは大師の云く、無尽荘厳金剛界の身これなり。大毘盧遮那四種法身、四種曼荼羅、皆是れ一切衆生本来平等に共に有セリ。然りと雖も五障の覆弊を被り、三妄の雲翳を被り、三妄の雲翳によって覚悟することを得ず。若し能く日月の輪光を観じ聲字の真言を誦じ、三密の加持を発し,四印の妙用を揮へば則ち大日の明光廓、法界に周く、無明の障者忽ちに心海に帰し、無明忽ちに明となり、毒薬乍ちに薬となる。五部三部の尊、森羅として圓現し、刹塵海滴の佛忽然として湧出す。此の三昧に住するを秘密三摩地と名くと云へり。(大師の三昧耶戒序に「能求心者。譬如有人欲爲善與惡。必先標其心而後行其行云云。求菩提之人亦復如是。又如狂人解毒忽起歸宅之心。遊客事畢乍發懷
土之思。求菩提之心亦復如是。既知狂醉在三界之獄。熟眠臥六道之薮。何不驅神通之車速歸本覺莊嚴之床。此則能求之心。所求心者。所謂無盡莊嚴金剛界身是也。大毘盧遮那四種法身四種曼荼羅。此是一切衆生本來平等共有。雖然被五障之覆弊。依三妄之雲翳不得覺悟。若能觀日月之輪光。誦聲字之眞言。發三密之加持。揮四印之妙用。則大日之光明廓周法界。無明之障者忽歸心海。無明忽爲明毒藥乍爲藥。五部三部之尊森羅圓現。刹塵海滴之佛忽然
涌出。住此三昧1諸佛名祕密三摩地。」)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 釈雲照師「十善業道経講義」... | トップ | 釈雲照師「十善業道経講義」... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

諸経」カテゴリの最新記事