9月8日明星禮、諸堂参拝1時~4時。月齢18・7夜のお月様が雲一つ無い空から照らしてくださる。明星も東空の雲の間から顔をみせてくださる。岩の上に1時間ざして瞑想。最高の気分でした。脳裏にすばらしい星空とお月様、明星が刻み込まれました。
48座は観想の中に茫漠たる宇宙の感じが入ってきました。前半はどうしても家族のことがきになってしまったのですが最後のころ下禮盤直前に深い観想にはいれました。やはりしつこく観想するに越したことはありません。祈願するときもおなじでしょうがあきらめずしつこく修することがポイントなのかもしれません。
出堂すると曇りになっていました。すると明星禮の時だけ晴れてくれていたのでしょうか。なんともありがたいことでした。
49座は12時前に入ってしまいました。せっかちの自分の性格がでてしまいます。この回は徹底して「衆生無辺誓願度」と祈りました。「歴代の行者さん、明星様、いま一年に3万人も自殺者がいます。このあわれな衆生をお助けください。満天の星空のような福徳を衆生にお与えください」と本気で祈りました。今回も降壇する直前にも瞑想しましたがこの瞑想が一番深くなりました。
出堂したあとなぜか量子力学でいわれる「物質の根本である電子は粒子でもあり波動でもある」という定理を思い出しました。すると自分は波動となり他者と相互に入り込んでおり、おそれおおいことながら仏様とも同じように相互に入り込んでいるのだと思いました。したがって岩の上で満天の星の祝福を受けているのは衆生とつながっている衆生そのものとしての自分なのだと思ったのです。遠慮することはない、星が降り注ぐような無限の福徳を衆生の代表としていただけばいいだけなのだとおもいました。
「龍山に降る満天の星星に 無辺衆生のすべらさいのる」
気がつけば今回で行は丁度半分のところに来ましたが全く長い感じはしません。
48座は観想の中に茫漠たる宇宙の感じが入ってきました。前半はどうしても家族のことがきになってしまったのですが最後のころ下禮盤直前に深い観想にはいれました。やはりしつこく観想するに越したことはありません。祈願するときもおなじでしょうがあきらめずしつこく修することがポイントなのかもしれません。
出堂すると曇りになっていました。すると明星禮の時だけ晴れてくれていたのでしょうか。なんともありがたいことでした。
49座は12時前に入ってしまいました。せっかちの自分の性格がでてしまいます。この回は徹底して「衆生無辺誓願度」と祈りました。「歴代の行者さん、明星様、いま一年に3万人も自殺者がいます。このあわれな衆生をお助けください。満天の星空のような福徳を衆生にお与えください」と本気で祈りました。今回も降壇する直前にも瞑想しましたがこの瞑想が一番深くなりました。
出堂したあとなぜか量子力学でいわれる「物質の根本である電子は粒子でもあり波動でもある」という定理を思い出しました。すると自分は波動となり他者と相互に入り込んでおり、おそれおおいことながら仏様とも同じように相互に入り込んでいるのだと思いました。したがって岩の上で満天の星の祝福を受けているのは衆生とつながっている衆生そのものとしての自分なのだと思ったのです。遠慮することはない、星が降り注ぐような無限の福徳を衆生の代表としていただけばいいだけなのだとおもいました。
「龍山に降る満天の星星に 無辺衆生のすべらさいのる」
気がつけば今回で行は丁度半分のところに来ましたが全く長い感じはしません。