Q,智慧霊験のある人が魔道に入るのはなぜか?
A,戒律を守っている人・修業を積んだ行者等が高慢になり執着心を起こす結果、魔に魅入られることがある。
夢中問答集(無窓疎石)より・・・19
問、智徳霊験のあるによりて魔道に入ることは何故ぞや。
答、‥浄業障経に、六波羅蜜を修して仏道の障りとなる故を説いていはく、檀施を行ずる人は他人の慳貪なるを見てこれを憎み、持戒の人は破戒のひとをみてこれをそしる。乃至禅定を修する人は散乱の人を厭ひ、智恵のある人は愚痴の者を軽しむ。もしかやうの心を生ずる時は六波羅蜜の功徳かへりて仏道を障へる因縁なりと云々。これも亦六波羅蜜を修するが魔行なるにはあらず、有所得の心に住して自らを是し、他を非とする故に。仏道の障りとなれるなり。六度を行ずるだにも、もし有所得の心に住すれば魔業を成ず。いはんや世間の名利の為に智弁を求め神通を願ふものをや。かやうの心を起こすは皆これ内魔なり。この内魔あるがゆえに外魔その便を得て、その人に托して仮に智弁をあたへ神用を施さしむ。その人迷答して魔の所為とはしらず我が道徳なりと思ひていよいよ高慢をおこして遂に魔道に入る。
A,戒律を守っている人・修業を積んだ行者等が高慢になり執着心を起こす結果、魔に魅入られることがある。
夢中問答集(無窓疎石)より・・・19
問、智徳霊験のあるによりて魔道に入ることは何故ぞや。
答、‥浄業障経に、六波羅蜜を修して仏道の障りとなる故を説いていはく、檀施を行ずる人は他人の慳貪なるを見てこれを憎み、持戒の人は破戒のひとをみてこれをそしる。乃至禅定を修する人は散乱の人を厭ひ、智恵のある人は愚痴の者を軽しむ。もしかやうの心を生ずる時は六波羅蜜の功徳かへりて仏道を障へる因縁なりと云々。これも亦六波羅蜜を修するが魔行なるにはあらず、有所得の心に住して自らを是し、他を非とする故に。仏道の障りとなれるなり。六度を行ずるだにも、もし有所得の心に住すれば魔業を成ず。いはんや世間の名利の為に智弁を求め神通を願ふものをや。かやうの心を起こすは皆これ内魔なり。この内魔あるがゆえに外魔その便を得て、その人に托して仮に智弁をあたへ神用を施さしむ。その人迷答して魔の所為とはしらず我が道徳なりと思ひていよいよ高慢をおこして遂に魔道に入る。