「高野春秋」に「長徳元年995二月二十七日、大僧都元杲、現身に西方世界に往詣す(寿八十二)。日課誦経専念の酬の故なり。長者牒に云、永延二年元杲、所職を辞退し永く以て醍醐延命院に籠居し西方極楽界を念ず。彼の遺誡に云、閑居本意他念無し。法花経を読み奉り之を以て日作と為す。弥陀佛を念じ奉り之を以て夜勤と為す。入滅の後、弟子等若し滴ま拝賀を致さんと欲せば當に西方にむかひて極楽を拝し奉るべし云々。・・」
「密教大辞典」に依れば「元杲・・醍醐延命院の学匠、字は真言房。一に延命院僧都と号す。京都の人。藤原雅楽農省の子なり。延喜十四年生る。九歳、勧学院小学生となり・・醍醐山元方を師として剃髪、東大寺戒壇院に受戒、明珍にしたがいて性相を研き、・・興福寺維摩法華両会の堅義聴講を勤む。醍醐山一定に両部大法を受け、石山淳祐に傳法灌頂を受け、寫瓶となる。上醍醐延命院に住す。康保元年大旱するや勅を受け神泉苑に祈雨し法験あり。康保二年十一月二十一日、寛空より具支灌頂を受け、廣澤の源底を盡し、ここに野澤両流の達匠となる。‥天禄三年詔を受けて再び神泉苑に請雨法を修し功に依りて權律師に任ぜらる。・・天延五年夏三度神泉苑に雨を祈り賞して小僧都に転ず。・・寛和元年六月四度請雨し法験を以て僧正に任ぜられんとせしが之を辞退し先師元方に大僧都の追贈を奉請せり。・・・長徳元年二月二十七日寂す。壽八十二。」
降雨の霊験はここにあります
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