福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

仏に逢った話・・3

2018-05-03 | 頂いた現実の霊験
仏に逢った話・・3
・2018年3月4日のNHK「こころの時代・高村薫」「東日本大震災の津波で流されるときにお大師様を見たという人々がいる」。

・戦陣に見た御大師様「私は昭和十二年日支事変と同時に41歳の厄年で応召、敗戦まで8年間戦場にあり、両足に13発の弾丸を受け、両手首複雑骨折の重傷をうけながら生き永らえ90歳の今日をむかえております。その永い戦場生活の中で勿体無くもお大師様のお姿を拝した光栄を日記のなかからひろいあげてみます。それは昭和12年10月29日のことでした。当時中支派遣軍の鬼部隊長といわれた和知鷹次大佐の率いる郷土の部隊が難攻不落といわれた羅店鎮を攻撃しているさなかでした。わたしは和知大佐に後続部隊の応援を告げに言ったのですが其の帰り、一面の綿畑を敵の目をかいくぐり一目散に走りました。其の途中戦死した日本兵の鉄兜が脱げていました。
私は「南無阿弥陀仏、南無大師遍照金剛」ととなえてこれをかぶらせてもらいました。其の瞬間1発の迫撃砲がヒューッとうなりを上げて飛んできて4,5メートル後ろで炸裂しました。鉄棒で後頭部を打ちのめされた感じで溝へたたきつけられました。砲撃がおさまって後頭部にさわってみるとヘルメットがへこんでいます。後頭部は大きな瘤ができています。しかしぶじでした。そして陣地にかえろうとすると100メートルほど先にふわっと雲のようなもののなかに人影があります。これを敵兵とおもいどんどんおいかけていくと倒れかけの家屋に逃げ込んだのです。そしてつかまえようと入るとそこから当番上等兵が飛び出してきて「隊長、どうしたんですか。ここはうちの部隊本部ですよ」といいます。「いまここにだれかはいってこなかったか」とたずねても誰も知らないといいます。考えるとわたしはあの迫撃砲で死ぬところを「南無阿弥陀仏、南無大師遍照金剛」の御寶号でたすけられさらに雲か敵兵かわからぬすがたで自分を陣地に導いてくださったのはお大師様のお蔭に違いありません。わたしは感謝と反省がごっちゃになりおもわず土下座して「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」と叫ばずにはおれませんでした。あとで私は腹に巻いていた千人針の中に縫いこんでいるお大師様のお姿があの雲のなかの人影にそっくりなことを発見しました。あの壮烈な地獄のような戦場にもお大師様は衣をひるがえしつつおでましいただきお助けいただいたということは50年後の今日でも有り難く涙が止まらない出来事でした。」(日本巡礼記、岳井虎治、南国市、)

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