福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

佛説觀普賢菩薩行法經(全文)

2014-02-01 | 諸経

佛説觀普賢菩薩行法經
宋元嘉年 曇無蜜多、楊州において譯す
如是我聞。一時佛毘舍離國大林精舍重閣講堂において、諸比丘に告げていわく「却の後、三月に我れ當に般涅槃せんとす」。尊者阿難即ち座より起って、衣服を整へて叉手合掌し、佛を遶って三匝し、佛に作禮し、胡跪合掌して諦觀し、如來を暫も捨てず目す。長
老摩訶迦葉、彌勒菩薩摩訶薩も亦た座より起って、合掌し作禮して尊顏を瞻仰す。時に三大士異口同音に佛に言して曰く。「世尊。如來滅後。云何んが衆生は菩薩心を起こし、大乘方等經典を修行し、正念に一實境界を思惟するや。云何んが無上菩提の心を失わざらや。云何んが復た當に煩惱を斷ぜず五欲を離れずして、淨諸根を得て諸罪を滅除せんや。父母所生の清淨の常眼に、五欲を斷ぜずして能く諸障外の事を見ることを得るや」。
佛阿難に告げたまふ「諦聽諦聽、善く之を思念せよ。如來昔耆闍崛山及び餘の住處において、已に廣く一實の道を分別す。今此處において、未来世の諸の衆生等の大乗無上の法を行ぜんと欲せん者、普賢の行を学し普賢の行を行ぜんと欲す者の為に、我今当に其の所念の法を説くべし。若しは普賢を見及び見ざる者の罪数を除却せんこと、今汝等が為に当に広く分別すべし。今汝等の為に當に廣く分別すべし。阿難よ、普賢菩薩は乃に東方淨妙國土に生ず。其國土相は法華經中に已に廣く分別す。我今此に略して解説せん。阿難よ、若し比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷・天龍八部・一切衆生にして、大乘經を誦する者、大乘を修する者、大乘の意を發する者、普賢菩薩の色身を見んと楽ふもの、多寶佛塔を見んと樂ふ者、釋迦牟尼佛及分身諸佛を見んと樂ふ者、六根清淨を得んと樂ふ者は當に是の觀を學すべし。此觀の功徳は諸障礙を除く。上妙色を見、三昧に入らざれども、但誦持するが故に、心を専らにして修習し、心心相次いで大乗を離れざること、一日より三七日に至れば普賢を見ることを得。重障ある者は七七日盡して然る後に見ることを得る。復た重有るものは一生に見ることを得る。復た重有るものは二生に見ることを得る。復た重有る者は三生に見ることを得る。如の是く種種の業報不同なり。是の故に説異なる。普賢菩薩は身量無邊、音聲無邊、色像無邊なり。此國に来らんと欲して自在神通に入る。身を促して小ならしむ。閻浮提の人は三障重なるが故なり。智慧力を以て白象に化乘す。其象六牙七支跓地。其七支の下に七蓮華生ず。象の色は鮮白。白中上者。頗梨雪山も比となるを得ず。身長四百五十由旬、高四百由旬。六牙端に六浴池有り。一一の浴池中に十四蓮華を生ず。池と正等なり。其の華開敷せること天の樹王のごとし。一一華上に一玉女有り。顏色紅輝にして天女を過ぎる有り。手中に自然に五箜篌を化す。一一の箜篌に、五百樂器有りて以って眷屬となす。五百飛鳥有り、鳧鴈鴛鴦皆衆寶の色なり。生花葉間。象鼻に華あり。其莖譬へば赤眞珠色の如し。其華は金色にして未敷を含む。是を見て事已む。復更に懺悔す。至心に諦觀し、大乘を思惟すべし。心休廢せず。其の華金色にして含んで未だ敷けず。
是の事を見已って復更に懺悔し、至心に諦観して大乗を思惟すること心に休廃せざれば、華を見るに即ち敷け金色に金光あり。其の蓮華台は是れ甄叔迦宝、妙梵摩尼を以て華台とし、金剛宝を以って華鬚とせり。化佛有りて蓮華臺に坐すと見る。衆多の菩薩蓮華鬚に坐す。化佛の眉間に亦た金光を出だし象鼻中に入る。象鼻を出るに從って象眼中に入る。
象眼を出るに從って象耳中に入る。象耳を出るに從って象頂上を照す。金臺を化作して其象頭上に三化人有り。一は金輪を捉へ、一は摩尼珠を持し、一は金剛杵を執る。杵を擧げて象に擬す。象即ち能行の脚なり。地を躡履ずして虚に遊ぶ。離地七尺。地有りて印文す。印文中において、千輻轂輞皆悉く具足せり。一一輞間に一大蓮華を生ず。此蓮華上に一化象を生ず。また七支有り。大象行くに隨って、擧足下足、七千象を生じ以って眷屬と為し、大象に隨從す。象鼻は紅蓮華色。上に化佛有り、眉間より光を放つ。其光金色。前の如く象鼻中に入る。象鼻中において出て象眼中に入る。象眼を出てより還って象耳に入る。象耳を出でて象頸上に至る。漸漸に上って象背に至り、金鞍を化成す。七寶校具。鞍四
面において七寶柱有り。衆寶校飾して以って寶臺を成す。臺中に一七寶蓮華有り。其蓮華鬚百寶共成す。其の蓮華臺は是れ大摩尼なり。一菩薩有り、結加趺坐す。名は曰く普賢なり。身白玉色にして五十種光あり。光五十種色を以って項光と為す。身の諸毛孔より金光を流出す。其金光端は無量化佛なり。諸化菩薩を以って眷屬と為す。安詳として徐くに歩み、大寶華を雨ふらし行者の前に至る。其の象口を開くに、象牙の上に於いて、諸池の玉女鼓楽絃歌す。其の声微妙にして大乗一実の道を讃歎す。行者見已りて、歡喜敬禮す。復更に甚深經典を誦讀す。十方無量諸佛を遍禮し、多寶塔及釋迦牟尼を禮し、普賢諸大菩薩を禮す。是の誓言を發す。若し我に宿福あらば應に普賢を見るべし。願はくは尊遍く吉なならば我に示すに色身をもってせん。是の願を作し已って、晝夜六時に十方佛を禮し、懺悔法を行じ、大乘經を誦せ。大乘經を讀み、大乘義を思ひ、大乘の事を念じ、大乘を持し恭敬供養する者は、一切人を視ること猶は佛を想うが如し。諸衆生に於いて父母を想うこと、是れ已を念ずるごとし。普賢菩薩は即ち眉間において大人相白毫光明を放つ。此光の現れる時、普賢菩薩の身相端嚴にして、紫金山の如し。端正微妙にして三十二相皆悉く備有す。身の諸毛孔より大光明を放ち、其大象を照して金色と作らしむ。一切の化象も亦た金色と作る。諸化菩薩もまた金色と作る。其金色光は東方無量世界を照らし、皆同じく金色なり。南西北方四維上下亦た復た是の如し、爾時十方面の一一の方に一菩薩有り、六牙白象王に乘り、亦た普賢等の如し、異あることなし。如是の十方無量無邊に化象滿中す。普賢菩薩の神通力の故なり。持經者は皆な悉く見ることを得しむ。是時行者、諸菩薩を見て身心歡喜して其作禮を作して、白して言さく、「大慈大悲者は、我を愍念するが故に、我が爲に説法したまへ」。
是の語を説く時に、諸の菩薩等異口同音に各清浄の大乗経法を説いて、諸の偈頌を作って行者を讃歎す。
是れを始めて普賢菩薩を観ずる最初の境界と名づく。爾時行者、是事を見已って、心に大乘を念じ、晝夜捨てざれば睡眠中において、夢に普賢が其為に説法するを見ん。覺の如くして異なることなし。其心を安慰し、是の言を作す「汝誦持する所の、是句を忘失し、是偈を忘失せんとき、爾時に行者、普賢菩薩所説の義趣を聞き深解し、憶持して忘れず。日日是の如くして、其心漸く利ならん。普賢菩薩其れをして教えしめて十方諸佛を憶念せしめん」。普賢に隨って心に正意を教正せしむ。漸く心眼を以て東方佛を見る。身黄金色。端嚴微妙なり。一佛を見已って、復た一佛を見る。是の如くして漸漸く、遍く東方一切諸佛を見る。心相利なるが故に、遍く十方一切諸佛を見る。諸佛を見已って、心に歡喜を生じて、是の言を作す。大乘に因るが故に、大士を見るを得る。大士の力によっての故に、諸佛を見るを得る。諸佛を見ると雖も猶お未だ了了ならず。閉目して則ち見れども開目すれば則ち失う。是の語を作しおわって五體投地し、十方佛を遍禮し、諸佛を禮し已り、胡跪合掌して是言を作せ。「 諸仏世尊には十力、無畏、十八不共法、大慈、大悲、三念処まします。常に世間に在して色の中の上色なり。我何の罪あって見たてまつることを得ざるや」と。是語を説き已って、復に更た懺悔せよ。懺悔して清淨になり已って、普賢菩薩復た更に現前す。行住坐臥其側を離れず。乃至夢中に常に爲に説法す。此人覺已。得法喜樂す。是の如くして晝夜三七日を経る。然る後に方に旋陀羅尼を得る。陀羅尼を得るが故に、諸佛菩薩所説の妙法、憶持して失せず。亦た常に過去七佛を夢見る。唯だ釋迦牟尼佛そのために説法す。是の諸世尊、各各大乘經典を賛ず。爾時に行者、復た更に懺悔して十方佛を遍禮すべし。十方佛を禮し已れば、普賢菩薩其人の前に住し、宿世一切業縁を教説し、黒惡一切の罪事を發露せん。諸の世尊に向いたてまつり、口に自ら発露せよ。既に発露し已りなば、尋いで時に即ち諸仏現前三昧を得ん。是の三昧を得已って、東方阿閦佛及妙喜國を見るに了了分明なり。如是の十方の各諸佛上妙國土を見るに、了了分明なり。既に十方の佛を見已って、象頭上に一金剛人有るを夢みる。金剛杵を以て遍く六根に擬す。六根に擬しおわって、普賢菩薩、行者のために六根清淨懺悔之法を説く。如是懺悔。一日至七日。以諸佛現前三昧力の故に、普賢菩薩説法莊嚴の故に、耳漸漸に障外の声を聞き、眼漸漸に障外の事を見、鼻漸漸に障外の香を聞がん。広く説くこと妙法華経の如し。是の六根清浄を得已って、身心歓喜して諸の悪想なけん。心を是の法に純らにして法と相応せん。復更に百千万億の旋陀羅尼を得ん。復更に広く百千万億無量の諸仏を見たてまつらん。是の諸の世尊各の右手を申べて、行者の頭を摩でて是の言を作したまわん。
「善哉善哉、大乗を行ずる者、大荘厳の心を発せる者、大乗を念ずる者なり。
我等昔日菩提心を発せし時皆亦是の如し。汝慇懃にして失わざれ。我等先世に大乗を行ぜしが故に、今清浄正遍知の身と成れり。汝今亦当に勤修して懈らざるべし。此の大乗経典は諸仏の宝蔵なり。十方三世の諸仏の眼目なり。三世の諸の如来を出生する種なり。 此の経を持つ者は、即ち仏身を持ち、即ち仏事を行ずるなり。当に知るべし、是の人は即ち是れ諸仏の使なり。諸仏世尊の衣に覆われ、諸仏如来の真実の法子なり。汝大乗を行じて法種を断つことなかれ。汝今諦かに東方の諸仏を観じたてまつれ」。
是の語を説きたもう時、行者即ち東方の一切無量の世界を見る。地の平かなること掌の如し。諸の堆阜、岳陵、荊棘なく、瑠璃をもって地とし、黄金をもって側を間てたり。十方世界も亦復是の如し。
是の事を見已って即ち宝樹を見ん。宝樹高妙にして五千由旬なり。其の樹常に黄金、白銀を出して七宝荘厳せり。樹下に自然に宝の師子座あり。其の師子座、高さ二千由旬ならん。其の座の上に亦た百宝の光明を出さん。是の如く諸樹及び余の宝座、一一の宝座に皆百宝の光明あらん。
是の如く諸樹及び余の宝座、一一の宝座に皆自然の五百の白象あらん。象の上に皆普賢菩薩有り。 爾の時に行者諸の普賢を礼して、是の言を作せ、
「我何の罪あってか但だ宝地、宝座及び宝樹のみを見て、諸仏を見たてまつらざる」と。
是の語を作し已りなば、一一の座の上に一人の世尊ましまさん。端厳微妙にして宝座に坐したまえり。諸仏を見たてまつり已って心大いに歓喜し、復更に大乗経典を誦習せよ。
大乗の力の故に、空中に声あって讃歎して言わく、
「 善哉善哉、善男子、汝大乗を行ずる功徳の因縁に、能く諸仏を見たてまつる。今諸仏世尊を見たてまつることを得たりと雖も、而も釈迦牟尼仏、分身の諸仏及び多宝仏塔を見たてまつること能ざらん」。

空中の声を声き已って、復勤めて大乗経典を誦習せよ。
大乗方等経を誦習するを以っての故に、即ち夢中に於いて釈迦牟尼仏、諸の大衆と耆闍崛山に在して、法華経を説き一実の義を演べたもうを見ん。
教え已りなば懺悔し渇仰して見たてまつらんと欲し、合掌胡跪して耆闍崛山に向って是の言を作せ。
「如来世雄は常に世間に在す。我を愍念したもうが故に我が為に身を現じたまえ」。
是の語を作し已って耆闍崛山を見るに、七宝荘厳して無数の比丘声聞大衆あり。宝樹行列して宝地平正なり。復た妙宝師子の座を敷けり。
釈迦牟尼仏、眉間の光を放ちたもう。其の光遍く十方世界を照らし、復十方無量の世界を過ぐ。
此の光の至る処の十方分身の釈迦牟尼仏、一時に雲のごとく集り、広く妙法を説きたもうこと妙法華経の如し。
一一の分身の仏身は紫金の色なり。身量無辺にして師子の座に坐したまえり。
百億無量の諸大菩薩を以って眷属とせり。一一の菩薩、行、普賢に同じ。
此の如く十方無量の諸仏、菩薩の眷属も亦復是の如し。

大衆雲集し已って、釈迦牟尼仏を見たてまつれば、挙身の毛孔より金色の光を放ちたもう。
一一の光の中に百億の化仏有す。
諸の分身の仏眉間の白毫大人相の光を放ちたもう。
其の光釈迦牟尼仏の頂に流入す。
此の相を見る時、分身の諸仏一切の毛孔より金色の光を出したもう。
一一の光の中に復恆河沙微塵数の化仏有す。
爾の時に普賢菩薩、復眉間の大人相の光を放って行者の心に入れん。
既に心に入り已りなば、行者自ら過去無数百千の仏の所にして大乗経典を受持し読誦せしことを憶し、自ら故の身を見ること了了分明ならん。宿明通の如く等しくして異なることなけん。豁然として大悟し、旋陀羅尼、百千万億の諸の陀羅尼門を得ん。
三昧より起って、まのあたり一切の分身の諸仏、衆の宝樹の下に師子の床に坐したまえるを見たてまつらん。復た瑠璃の地の蓮華聚の如く下方の空中より踊出するを見ん。
一一の華の間に微塵数の菩薩あって結跏趺坐せん。
亦普賢の分身の菩薩彼の衆の中に在って大乗を讃説するを見ん。
時に諸の菩薩、異口同音に行者をして六根を清浄ならしめん。

或は説いて言わく、「汝当に仏を念ずべし」。
或は説いて言わく、「汝当に法を念ずべし」。
或は説いて言わく、「汝当に僧を念ずべし」。
或は説いて言わく、「汝当に戒を念ずべし」。
或は説いて言わく、「汝当に施を念ずべし」。
或は説いて言わく、「汝当に天を念ずべし」。

此の如き六法は是れ菩提心なり、菩薩を生ずる法なり。汝今応当に諸仏の前に於いて、先の罪を発露し至誠に懺悔すべし。
無量世に於いて、眼根の因縁をもって諸色に貪著す。色に著するを以っての故に諸塵を貪愛す。塵を愛するを以っての故に女人の身を受けて、世世に生ずる処に諸色に惑著す。色汝が眼を壊って恩愛の奴となる。故に色汝をして三界を経歴せしむ。此の幣使を為って盲にして見る所なし。
今大乗方等経典を誦す。此の経の中に十方の諸仏色身滅せずと説く。汝今見ることを得れり、審実にして爾りや不や。眼根不善汝を傷害すること多し。我が語に随順して、諸仏、釈迦牟尼仏に帰向したてまつり、汝が眼根の所有の罪咎を説け。

諸仏、菩薩の慧眼の法水、願わくは以って洗除して、我をして清浄ならしめたまえと。
是の語を作し已って遍く十方の仏を礼し、釈迦牟尼仏、大乗経典に向いたてまつりて、復是の言を説け。
「我が今懺する所の眼根の重罪、障惆穢濁にして盲にして見る所無し。願わくは仏大慈をもって哀愍覆護したまえ。普賢菩薩大法船に乗って、普く一切の十方無量の諸の菩薩の伴を渡したもう。唯願わくは哀愍して我が眼根の不善悪業障を悔過する法を聴したまえ」。
是の如く三たび説いて五体を地に投じて大乗を正念して心に忘捨せざれ。是れを眼根の罪を懺悔する法と名づく。
諸仏の名を称し焼香、散華して、大乗の意を発し繪、旛、蓋を懸けて、眼の過患を説き罪を懺悔せば、此の人現世に釈迦牟尼仏を見たてまつり、及び分身、無量の諸仏を見たてまつり、阿僧祇劫に悪道に堕せじ。
大乗の力の故に、大乗の願の故に、恒に一切の陀羅尼菩薩と共に眷属と為らん。
是の念を作す者、是れを正念とす。若し他念する者を名づけて邪念とす。是れを眼根初境界の相と名づく。
眼根を浄むること已って、復更に大乗経典を読誦し、昼夜六時に胡跪し懺悔して是の言を作せ、
「我今云何んが但だ釈迦牟尼仏、分身の諸仏を見たてまつりて、多宝仏の塔全身の舎利を見たてまつらざる。多宝仏の塔は恒に在して滅したまわず。我濁悪の眼なり、是の故に見たてまつらず」。
是の語を作し已って、復更に懺悔せよ。
七日を過ぎ已って、多宝仏の塔、地より涌出したまわん。釈迦牟尼仏即ち右の手を以って其の塔の戸を開きたまわん。
多宝仏を見たてまつれば普現色身三昧に入りたまえり。一一の毛孔より恆河沙微塵数の光明を流出したもう。一一の光明に一一に百千万億の化仏います。

此の相現ずる時、行者歓喜して讃偈をもって塔を遶ること七匝を満て已りなば、多宝如来大音声を出して、讃めて言わく、
「 法子、汝今真実に能く大乗を行じ、普賢に随順して眼根懺悔す。是の因縁を以って、我汝が所に至って汝が証明と為るべし」。
是の語を説き已って、讃めて言わく、
「善哉善哉、釈迦牟尼仏、能く大法を説き大法の雨を雨らして、濁悪の諸の衆生等を成就す」。
是の時に行者、多宝仏塔を見已って、復普賢菩薩の所に至って、合掌し敬礼して白して言さく、
「大師、我に悔過を教えたまえ」。

普賢復言わく、
「汝多劫の中に於いて、耳根の因縁をもって外声に随逐して、妙音を聞く時は心に惑著を生じ、悪声を聞く時は百八種の煩悩の賊害を起す。此の如き悪耳の報、悪事を得。恒に悪声を聞いて諸の攀縁を生ず。顛倒して聴くが故に、当に悪道、辺地、邪見の、法を聞かざる処に堕すべし。汝今日に於いて大乗の功徳海蔵を誦持す。是の因縁を以っての故に十方の仏を見たてまつるべし。多宝仏塔は現じて汝が証と為るべし。汝自ら当に己が過悪を説いて諸罪を懺悔すべし」。

是の時に行者、是の語を聞き已って、復更に合掌して五体を地に投じて是の言を作せ、
「正遍知世尊、現じて我が証と為りたまえ。方等経典は為れ慈悲の主なり。唯願わくは我を観我が所説を聴きたまえ。 我多劫より乃至今身まで、耳根の因縁をもって声を聞いて惑著すること、膠の草に著くが如し。諸の悪声を聞く時は煩悩の毒を起し、処処に惑著して暫くも停まる時なし。此の弊声を出して我が識神を労し、三途に墜堕せしむ。今始めて覚知して、諸の世尊に向いたてまつりて発露懺悔す」と。
既に懺悔し已れば、多宝仏の大光明を放ちたもうを見るべし。其の光金色にして遍く東方及び十方界を照らしたまう。無量の諸仏身真金の色なり。

東方の空中に是の唱言を作す、
「此に仏世尊まします。号を善徳という。亦無数の分身の諸仏あり、宝樹下の師子座上に坐して結跏趺坐したまえり」。
是の諸の世尊の一切皆普現色身三昧に入りたまえる、皆是の言を作して、讃めて言わく、
「善哉善哉、善男子、汝今大乗経典を読誦す。汝が誦する所は是れ仏の境界なり」。
是の語を説き已りなば普賢菩薩更に為に懺悔の法を説かん。
「 汝先世無量劫の中に於いて、香を貪るを以っての故に、分別諸識処処に貪著して、生死に堕落せり。 汝今当応に大乗の因を観ずべし。大乗の因とは諸法実相なり」と。
是の語を聞き已って、五体を地に投じて復更に懺悔せよ。
既に懺悔し已って当に是の語を作すべし、
「南無釈迦牟尼仏、南無多宝仏塔、南無十方釈迦牟尼仏分身諸仏」と。
是の語を作し已って、遍く十方の仏を礼したてまつれ、
「南無東方善徳仏及び分身諸仏」と。
眼に見る所の如くして一一に心をもって礼し、香華をもって供養し、供養すること畢って胡跪し、合掌して、種々の偈を以って諸仏を讃歎したてまつり既に讃歎し已って、十悪業を説いて諸罪を懺悔せよ。

既に懺悔し已って是の言を作せ、
「我先世無量劫の時に於いて、香、味、触を貪って衆悪を造作せり。是の因縁を以って、無量世より恒に地獄、餓鬼、畜生、辺地、邪見の諸の不善の身を受く。此の如き悪業を今日発露し、諸仏正法の王に帰向したてまつりて説罪懺悔す」と。
既に懺悔し已って身心懈らずして復更に大乗経典を読誦せよ。
大乗の力の故に空中に声あって告げて言わく、
「 法子、汝今応当に十方の仏に向いたてまつりて大乗の法を讃説し、諸仏の前に於いて自己が過を説くべし。諸仏如来は是れ汝が慈父なり。汝当に自ら舌根の所作の不善悪業を説くべし。此の舌根は悪業の想に動ぜられて、妄言綺語、悪口両舌、誹謗妄語、邪見の語を讃歎し、無益の語を説く。是の如き衆多の諸の雑悪業、闘遘壊乱し法を非法と説く。是の如き衆罪を今悉く懺悔すと。諸の世雄の前にして是の語を作し已って、五体を地に投じて遍く十方の仏を礼したてまつり 合掌長跪して当に是の語を作すべし。
此の舌の過患無量無辺なり。諸の悪業の刺は舌根より出ず。正法輪を断ずること此の舌より起る。此の如き悪舌は功徳の種を断ず。非義の中に於いて多端に強いて説き、邪見を讃歎すること火に薪を益すが如し。
猶お猛火の衆生を傷害するが如し。毒を飲める者の瘡疣なくして死するが如し。是の如き罪報悪邪不善にして、当に悪道に堕すること百劫千劫なるべし。妄語を以っての故に大地獄に堕す。我今南方の諸仏に帰向したてまつりて、過罪を発露す」。
是の念を作す時空中に声あらん。
「南方に仏います、栴檀徳と名づけたてまつる。彼の仏に亦無量の分身います、一切の諸仏皆大乗を説いて罪悪を除滅したもう。此の如き衆罪を、今十方無量の諸仏大悲世尊に向いたてまつりて、黒悪を発露し誠心に懺悔せ」。
是の語を説き已りなば、五体を地に投じて復諸仏を礼したてまつれ。
是の時に諸仏、復光明を放って行者の身を照らして、其の身心をして自然に歓喜せしめ、大慈悲を発し普く一切を念ぜしめん。
爾の時に諸仏、広く行者の為に大慈悲及び喜捨の法を説き、亦愛語を教え六和敬を修せしめん。
爾の時に行者、此の教勅を聞き已って心大いに歓喜して、復更に誦習して終に懈息せざらん。
空中に復微妙の音声あって、是の如き言を出さん、
「汝今応当に身心に懺悔すべし。身とは殺、盗、婬、心とは諸の不善を念ずる、十悪業及び五無間を造ること、猶お猿猴のごとく亦黐膠の如く、処処に貪著して遍く一切六情根の中に至る。此の六根の業、枝条華葉悉く三界、二十五有、一切の生処に満てり。
亦能く無明、老、死、十二の苦事を増長す。八邪、八難、中に経ざることなし。
汝今応当に是の如き悪不善の業を懺悔すべし」。
爾の時に行者此の語を聞き已って、空中の声に問い奉る、
「我今何れの処にしてか懺悔の法を行ぜん」と。
時に空中の声即ち是の語を説かん、
「釈迦牟尼仏を毘盧遮那遍一切処と名づけたてまつる。
其の仏の住処を常寂光と名づく。常波羅蜜に摂成せられたる処、我波羅蜜に安立せられたる処、浄波羅蜜の有相を滅せる処、楽波羅蜜の身心の相に住せざる処、有無の諸法の相を見ざる処、如寂解脱、乃至般若波羅蜜なり。是の色常住の法なるが故に。
是の如く応当に十方の仏を観じたてまつるべし」。
時に十方の仏、各右の手を申べて行者の頭を摩でて、是の如き言を作したまわん。
「 善哉善哉、善男子、汝今大乗経を読誦するが故に、十方の諸仏懺悔の法を説きたもう。菩薩の所行の結使を断ぜず使海に住せず。心を観ずるに心なし。顛倒の想より起る。
此の如き相の心は妄想より起る。空中の風の依止する処なきが如し。是の如き法相は生ぜず没せず。何者か是れ罪、何者か是れ福、我が心自ら空なれば罪、福も主なし。一切の法は是の如く住なく壊なし。是の如き懺悔は心を観ずるに心なし。法も法の中に住せず。
諸法は解脱なり、滅諦なり、寂静なり。是の如き相をば大懺悔と名づけ、大荘厳懺悔と名づけ、無罪相懺悔と名づけ破壊心識と名づく。此の懺悔を行ずる者は、身心清浄にして法の中に住せざること、猶お流水の如し。念念の中に普賢菩薩及び十方の仏を見たてまつることを得ん」と。
時に諸の世尊、大悲光明を以て行者の為に無相の法を説きたもう。
行者、第一義空を説きたもうを聞き奉らん。行者聞き已って心驚怖せず。時に応じて即ち菩薩の正位に入らん。
仏、阿難に告げたまわく、
「是の如く行ずるをば名づけて懺悔とす。此の懺悔とは十方の諸仏、諸大菩薩の所行の懺悔の法なり」。
仏、阿難に告げたまわく、
「仏の滅度の後、仏の諸の弟子若し悪不善業を懺悔することあらば、但当に大乗経典を読誦すべし。此の方等経は是れ諸仏の眼なり。諸仏は是れに因って五眼を具することを得たまえり。仏の三種の身は方等より生ず。是れ大法因なり。涅槃海を印す。此の如き海中より能く三種の仏の清浄の身を生ず。 此の三種の身は人天の福田、応供の中の最なり。
其れ大乗方等経典を読誦することあらば、当に知るべし。此の人は仏の功徳を具し、諸悪永く滅して仏慧より生ずるなり」。

爾の時に世尊、而も偈を説いて言わく、
「若し眼根の悪あって 業障の眼不浄ならば 但当に大乗を誦し 第一義を思念すべし
是れを眼を懺悔して 諸の不善業を尽くすと名づく。
耳根は乱声を聞いて 和合の義を壊乱す。是れに由って狂心を起すこと 猶お癡なる猿猴の如し。但当に大乗を誦し 法の空無相を観ずべし 永く一切の悪を尽して 天耳をもって十方を聞かん。
鼻根は諸香に著して 染に随って諸の触を起す 此の如き狂惑の鼻 染に随って諸塵を生ず。若し大乗経を誦し 法の如実際を観ぜば 永く諸の悪業を離れて 後世に復生ぜじ。
舌根は五種の悪口の不善業を起す。若し自ら調順せんと欲せば 勤めて慈悲を修し 法の真寂の義を思うて 諸の分別の想なかるべし。
心根は猿猴の如くにして 暫くも停まる時あることなし。若し折伏せんと欲せば 当に勤めて大乗を誦し 仏の大覚身、力無畏の所成を念じたてまつるべし。
身は為れ機関の主 塵の風に随って転ずるが如し 六賊中に遊戯して 自在にして罣礙なし。若し此の悪を滅して 永く諸の塵労を離れ 常に涅槃の城に処し 安楽にして心憺怕ならんと欲せば 当に大乗経を誦して 諸の菩薩の母を念ずべし。無量の勝方便は 実相を思うに従って得。此の如き等の六法を 名づけて六情根とす。
一切の業障海は 皆妄想より生ず。若し懺悔せんと欲せば 端坐して実相を思え。
衆罪は霜露の如し 慧日能く消除す。是の故に至心に 六情根を懺悔すべし」
是の偈を説き已って、仏、阿難に告げたまわく、
「汝今是の六根を懺悔し普賢菩薩を観ずる法を持って、普く十方の諸天、世人の為に広く分別して説け。 仏の滅度の後、仏の諸の弟子若し方等経典を受持し読誦し解説することあらば、応に静処の若しは塚間、若しは樹下、阿練若処に於いて、方等を読誦し大乗の義を思うべし。
念力強きが故に我が身及び多宝仏塔、十方分身の無量の諸仏、普賢菩薩、文殊師利菩薩、薬王菩薩、薬上菩薩を見たてまつることを得ん。
法を恭敬するが故に諸の妙華を持って空中に住立して、行持法の者を讃歎し恭敬せん。但大乗方等経を誦するが故に、諸仏、菩薩昼夜に是の持法の者を供養したまわん」。
仏、阿難に告げたまわく、
「我賢劫の諸の菩薩及び十方の仏と、大乗真実の義を思うに因るが故に、百万億阿僧祇劫の生死の罪を除却しき。此の勝妙の懺悔の法に因るが故に、今十方に於いて各仏となることを得たり。若し疾く阿耨多羅三貎三菩提を成ぜんと欲せん者、若し現身に十方の仏及び普賢菩薩を見んと欲せば、当に淨く澡浴して淨潔の衣を著、衆の名香を焼き空閑の処に在るべし。応当に大乗経典を誦読し大乗の義を思うべし」。
仏、阿難に告げたまわく、
「若し衆生あって普賢菩薩を観ぜんと欲せん者は、当に是の観を作すべし。是の観を作す者是れを正観と名づく。若し他観する者是れを邪観と名づく。仏の滅度の後、仏の諸の弟子、仏の語に随順して懺悔を行ぜん者は、当に知るべし、是の人は普賢の行を行ずるなり、普賢の行を行ぜん者は悪相及び悪業報を見じ。其れ衆生あって、昼夜六時に十方の仏を礼したてまつり、大乗経を誦し、第一義甚深の空法を思わば、一弾指の頃に百万億阿僧祇劫の生死の罪を除却せん。 此の行を行ずる者は真に是れ仏子なり、諸仏より生ず。十方の諸仏及び諸の菩薩、其の和上となりたまわん。是れを菩薩戒を具足せる者と名づく。羯磨を須いずして自然に成就し、応に一切人天の供養を受くべし」。
爾の時に行者若し菩薩戒を具足せんと欲せば、応当に合掌して、空閑の処に在って遍く十方の仏を礼したてまつり、諸罪を懺悔し自ら己が過を説くべし。
然して後に静かなる処にして十方の仏に白して、是の言を作せ、
「諸仏世尊は常に世に住在したもう。我業障の故に方等を信ずと雖も仏を見たてまつること了かならず。今仏に帰依したてまつる。唯願わくは釈迦牟尼仏正遍知世尊、我が和上と為りたまえ。文殊師利具大悲者、願わくは智慧を以って我に清浄の諸の菩薩の法を授けたまえ。弥勒菩薩勝大慈日、我を憐愍するが故に亦我が菩薩の法を受くることを聴したもうべし。十方の諸仏、現じて我が証と為りたまえ。諸大菩薩各其の名を称して、是の勝大士、衆生を覆護し我等を助護したまえ。今日方等経典を受持したてまつる。乃至失命し設い地獄に堕ちて無量の苦を受くとも、終に諸仏の正法を毀謗せじ。是の因縁、功徳力を以っての故に、今釈迦牟尼仏、我が和上と為りたまえ。文殊師利、我が阿闍梨と為りたまえ。当来の弥勒、願わくは我に法を授けたまえ。十方の諸仏、願わくは我を証知したまえ。大徳の諸の菩薩、願わくは我が伴と為りたまえ。 我今大乘經甚深妙義によって歸依佛歸依法歸依僧なり」と。是の如く三たび説け。
三宝に帰依したてまつることを已って、次に当に自ら誓って六重の法を受くべし。
六重の法を受け已って、次に当に勤めて無礙の梵行を修し、曠済の心を発し八重の法を受くべし。
此の誓を立て已って、空閑の処に於いて衆の名香を焼き華を散じ、一切の諸仏及び諸の菩薩、大乗方等に供養したてまつりて、是の言を作せ、
「 我今日に於いて菩提心を発しつ。此の功徳を以って普く一切を度せん。
是の語を作し已って、復更に一切の諸仏及び諸の菩薩を頂礼し、方等の義を思え。
一日乃至三七日、若しは出家、在家にても、和上を須いず諸師を用いず白羯磨せざれども、大乗経典を受持し読誦する力の故に、普賢菩薩の助発行の故に、是れ十方の諸仏の正法の眼目なれば、是の法によって自然に五分法身、戒、定、慧、解脱知見を成就す。諸仏如来は此の法より生じ、大乗経に於いて記謚を受くることを得たまえり。
是の故に智者、若し声聞の三帰及び五戒、八戒、比丘戒、比丘尼戒、沙弥戒、沙弥尼戒、式叉摩尼戒及び諸の威儀を毀破し、愚癡、不善、悪邪心の故に多く諸の戒及び威儀の法を犯さん。

若し除滅して過患なからしめ還って比丘となって沙門の法を具せんと欲せば、当に勤修して方等経典を読み、第一義甚深の空法を思うて、此の空慧をして心と相応せしむべし。当に知るべし。此の人は念念の頃に於いて、一切の罪垢永く尽きて余なけん。
是れを沙門の法戒を具足し諸の威儀を具すと名づく。応に人天一切の供養を受くべし。
若し優婆塞、諸の威儀を犯し不善の事を作さん。不善の事を作すとは、所謂仏法の過悪を説き、四衆の所犯の悪事を論説し、偸盗、婬妷にして慚愧あることなきなり。

若し懺悔して諸罪を滅せんと欲せば、当に勤めて方等経典を読誦し第一義を思うべし。
若し王者、大臣、婆羅門、居士、長者、宰官、是の諸人等貪求して厭くことなく、五逆罪を作り、方等経を謗し、十悪業を具せらん。
是の大悪報応に悪道に堕つべきこと暴雨にも過ぎん。必定して当に阿鼻地獄に堕つべし。
若し此の業障を滅除せんと欲せば、慚愧を生じて諸罪を改悔すべし。
仏の言わく、
如何なるをか刹利、居士の懺悔の法と名づくる。刹利、居士の懺悔の法とは、但当に正心にして三宝を謗せず、出家を障えず、梵行人の為に悪留難を作さざるべし。応当に繋念して六念の法を修すべし。亦当に大乗を持つ者を供給し供養し、必ず礼拝すべし。応当に甚深の経法、第一義空を憶念すべし。是の法を思う者、是れを刹利、居士の第一の懺悔を修すと名づく。
第二の懺悔とは、父母に孝養し、師長を恭敬する、是れを第二の懺悔の法を修すと名づく。
第三の懺悔とは、正法をもって国を治め人民を邪枉せざる、是れを第三の懺悔を修すと名づく。
第四の懺悔とは、六斎日に於いて諸の境内に勅して、力の及ぶ所の処に不殺を行ぜしめ、此の如き法を修する、是れを第四の懺悔を修すと名づく。
第五の懺悔とは、但当に深く因果を信じ、一実の道を信じ、仏は滅したまわずと知るべし。是れを第五の懺悔を修すと名づく。

仏、阿難に告げたまわく、
未来世に於いて、若し此の如き懺悔の法を修習することあらん時、当に知るべし、此の人は慚愧の服を著、諸仏に護助せられ、久しからずして当に阿耨多羅三貎三菩提を成ずべし。
是の語を説きたもう時、十千の天子は法眼浄を得、弥勒菩薩等の諸大菩薩及び阿難は、仏の所説を聞きたてまつりて歓喜し奉行しき。

佛説觀普賢菩薩行法經
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