小右記・寛仁三年の条に
「大宰府、解し、申し請ふ。
対馬島判官代長岑諸近、高麗国に越渡し、刀伊の賊徒の為、虜せらるる女拾人を随身して帰り参るを言上する状。
二人。筑前国志摩郡安楽寺所領板持庄の人。即ち府に進る。
一人。船中に病し、府に参らず。
八人。対馬島の人。
二人。到来の間、病悩して死去す。
五人。又、病悩し、本島に留まる。
一人。府に進る。
賊虜の女内蔵石女等の申文を副へ進る。
右、対馬島、去ぬる六月十七日の解状、同二十一日に到来するを得るに偁はく、「上県郡を管する伊奈院司、同十六日の解状に偁はく、『刀伊の賊徒、到来する間、判官代諸近并びに其の母・妻子等、虜せらる。而るに賊船、当島に還り寄る日、諸近、独身に逃げ脱して本宅に罷り還る。然る間、昨日の夜を以て、小船を盗み取りて逃亡すること、已に了んぬ。定めて知る、当島の厄を思はんが為、陸地に罷り渡るか。早く大府に言上せられ、将に召し返されんとす』てへり。島内の人民、賊が為に虜せらる。僅かに遺る所の民、又、他処に渡る。若し召し返さるる定無くんば、憖ひに遺る民、跡を留むべからず。望み請ふらくは、府裁、管内諸国に仰せ下され、在所を尋ね、将に糺し返されんとするを」てへり。而るに又、同島の今月九日の解状、同十二日に到来するを得るに偁はく、「件の諸近、去ぬる六月十五日を以て、跡を晦まし、逃亡す。仍りて其の由を言上すること、先に了んぬ。而るに今月七日を以て、諸近、到来し、申して云はく、『刀伊の賊、到来せる日、諸近の母・伯母・妹・妻子・従者等并せて十余人、賊船に取り乗さる。慮外に筑前・肥前等の国を往反す。但し賊徒、還り向かふ次いでに、対馬島に寄る。爰に諸近、独身に逃げ脱し、本島に罷り留まる。而るに竊かに惟ふに、老母・妻・子と離れ、独り存命すと雖も、已に何の益有らん。老母を相尋ね、命を刀伊の地に委ぬるに如かずと。事の由を島司に申さんと欲するも、渡海の制、重し。仍りて竊かに小船を取り、高麗国に罷り向かふ。将に刀伊の境に近づかんとするに、老母の存亡を問はんと欲す。爰に彼の国の通事仁礼、罷り会ひ、申して云はく、「刀伊の賊徒、先日、当国に到来し、人を殺し、物を掠む。相戦はんと欲する間、逐電して日本国に赴く。仍りて舟を艤ひ、兵を儲け、相待つ間、幾くも無く、還り向かふ。重ねて海辺を残滅す。仍りて予め五箇所に於いて舟千余艘を儲け、所々に襲撃し、悉く以て撃ち殺し了んぬ。其の中、多く日本国の虜者有り。彼の五个所の内、且つ三箇所の進る所、三百余人なり。集め遺す二箇所の人を待ち、船に乗せて日本国に進めらるべき由、已に公の定有り。且つ対馬島に還り、此の由を申すべし」てへり。爰に彼の賊虜の中の本朝の人等に罷り会ひ、老母の存亡を問ふに、即ち申して云はく、「賊徒等、高麗の地に到着する間、強壮の高麗人を取り載せ、病羸尫弱の者を以て、皆、海に入れ了んぬ。汝の母并びに妻・妹等、皆、以て死に了んぬ」てへり。只、伯母一人に会ひ、本土に罷り還らんと欲する処、本朝、異国に向かふ制、已に重し。故無く罷り還らば、定めて公譴に当たるべし。縦ひ書牒を得と雖も、指せる証無くんば、更に信用せらるべからず。之に因りて、日本人を受け乞ひ、件の人を証と為し、罷り還らんと欲する由、申請する処、高麗国、且つ賊虜十人を以て充て給ふ。抑も諸近、老母を思ふに依り、已に罪過を忍ぶ。母の死亡を知りて今に至らば、身を公に進りて、応に左右、裁定に随ふべし』てへり。異国に投□するは、朝制、已に重し。何ぞ況んや、近日、其の制、弥よ重し。仍りて諸近の身を召し、件の女三人を相副へ、島使前掾御室為親を差して進上すること、件のごとし」てへり。謹んで案内を検ずるに、異国の賊徒、刀伊・高麗、其の疑ひ未だ決せざるも、今、刀伊の撃たるるを以て、高麗の為す所ならざるを知る。但し新羅は、元敵国なり。国号の改有りと雖も、猶ほ野心の残るを嫌ふ。縦ひ虜民を送るとも、悦びを為すべからず。若しくは勝戦の勢ひを誇りて、偽りて成好の便を通ずるか。抑も諸近、為す所、先後、当たらざるなり。異域に越渡するは、禁制、素より重し。況んや賊徒、来侵の後、誡めて云はく、「先行の者を以て、異国に与せんと為す」てへり。而るに始め、制法を破りて渡海し、書牒無くして還る。若し虜者を将ゐ来たるを以て、優して其の罪に坐すること無からば、恐るらくは、後の憲にならざるを。愚民、偏へに法、緩むを思ひ、輙く渡海す。傍輩を懲らさんが為、其の身を禁じ候ず。須く高麗国使を待ちて、其の案内を申し上ぐべし。然れども、来不、知り難く、旬日、移らんと欲す。下民の言、誠に信じ難しと雖も、境外の云為、黙爾すべきに非ず。仍りて在状に注して言上すること、件のごとし。謹んで解す。
寛仁三年七月十三日
(小右記・寛仁三年四月十七日の項にも刀伊の入冠の事が記録されています。「今月七日の書に云はく、『刀伊国の者、五十余艘、対馬島に来着し、殺人・放火す。要害を警固し、兵船を差し遣はす。府、飛駅言上す』てへり。惟円、帰り去りて幾くならず、重ねて来たりて云はく、『八日に内房に送る帥の書、同じく飛駅にて持ち来たる。云はく、〔件の異国船、乃古島<大宰府警固を去ること、咫尺。>に来着す〕と云々』てへり」)