㈨忍辱不瞋恚戒・・・瞋恚とは意にそわない境遇に対して憤怒怨害の心を起こすを言う。この瞋恚に順理と違理とある。順理とは非道なことをされて怒るもので、違理とは怒るべからざることを怒るもの。このように瞋恚に軽重の違いはあるがどちらの場合も怒らないことを止善とする。行善とは慈悲喜捨の四無量心をもって一切衆生を憐憫するをいう。この「慈」に三種あり。衆生縁の慈、法縁の慈、無縁の慈、である。衆生縁の慈とは、一切衆生を前世の父母なりと思い慈悲親厚の思いを持って接し、決して瞋恚をおこさず、怨みに報いるに徳をもってすること。そして衆生に対しいま過去世の父母の恩を報ずるおもいをなすこと。(法縁の慈とは、一切は空なりという理を知らずに、衆生がただ苦を逃れ楽を得ようとあがくのをみて、衆生を抜苦与楽せんと思う心をいう。無縁の慈とは慈悲心の自然の働きをいう。)深く諸法を観ずれば、もしいま現に不慈の父に会い、不孝の子を得たるといえどもそれは過去世における不孝不忠の罪悪の影であると懺悔して慈悲心をもって接すべきである。もしこのような心持にあるならば天下に敵なしとなる。(逆にこういう慈悲心をもてなくて恨み心の強い人の周囲は敵だらけとなるのでしょう。)しかるに古来一時の瞋に身を亡ぼし親族にまで其の塁を及ぼすことあるを多くの人は知ておるが常にこれを反省している人はまれである。また憤兵は必ず負けるといわれている。真実の勇気は慈悲忍辱の心より起こるものであり、けっして憤怒よりでるものではない。(私も空手をやっていましたが武道もスポーツの試合でも怒らないで冷静な方が勝ちます。)
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