この一年、さまざまの俗事が起こり、そのたびにわが身の煩悩の熾盛さに繰り返し気付かされました。
こういうときは
「弥陀の本願には、老少 善悪の人を選ばれず、ただ信心を用とすとしるべし。そのゆえは、罪悪深重 煩悩熾盛の衆生をすくわれんがための願にまします。」(歎異抄)ということばや
「煩悩にまなこさへられて 摂取の光明みざれども 大悲ものうきことなくて つねにわが身をてらすなり」(高僧和讃)という言葉が改めて有難く身に染みます。
こういうときは
「弥陀の本願には、老少 善悪の人を選ばれず、ただ信心を用とすとしるべし。そのゆえは、罪悪深重 煩悩熾盛の衆生をすくわれんがための願にまします。」(歎異抄)ということばや
「煩悩にまなこさへられて 摂取の光明みざれども 大悲ものうきことなくて つねにわが身をてらすなり」(高僧和讃)という言葉が改めて有難く身に染みます。