福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

朝晩の瞑想での心境変化

2010-08-31 | 法話
朝晩の瞑想での心境変化


昨年求聞持を修したあとほとんど行らしい事はやっていません。今年は静かにするべき年だと気学の専門家にアドバイスを受けたこともあり、外での修業は四国二十一番太龍寺から十八番恩山寺までの短距離を歩いたくらいです。
其の埋め合わせということでもないのですが修法、瞑想、写経を日課にしています。修法のことはあまり書けませんので、瞑想で先日はかなり有り難い気持ちになったことをとりあえず記録しておきます。

昨年の求聞持では明星を拝しながら太龍寺捨心嶽で「衆生無辺誓願度」と本気で願って瞑想すると「法界」がおぼろげながら感じられるような気がしたのですが、今年に入っての自宅での瞑想は其の気持ちが薄れかなりレベルが落ちて心境が深まらなかったのです。

しかしそういう時でも最近時々ぐーっと心地よい甘美な境地にひきこまれることがあります。まさに瞬間的に引き込まれるという感じです。道元禅師の「悉有は佛性なり」ということばが当たり前に感じられる時があったのです。これはまだまだ多分半分以上頭で考えているところもあり、本物ではないと思いますが・・・。(偶然「大乗起信論」を読んでいるとやはり行者が「善根の力」なしに三昧に入ろうとしてもさまざまな邪境に誘い込まれるとありました。)

ただ「大乗起信論」には「精勤して専心にこの三昧を修すれば現世に十種の利益を得る」として最初に「常に十方の諸佛や菩薩のために護念せらる」と有りました。仏様に心境が守られるというのです。いまみつかりませんが他のところでは仏様が行者の心の深まりを助けてくださるというくだりもあったと思います。まさに仏様にお助けいただいて自分の心境が深まるのだということが実感として感じられたのです。瞬間ではありますが・・・。
此のお蔭を無にしないよう精進しなければと思うこのごろではあります。
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