福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

「神祇秘抄」・・16/22

2024-03-16 | 諸経

「神祇秘抄」・・16/22

十六、神とは不生の理、又三千界の主たること(十四条にすでに「此の神は法然本有不生の理なり」とある)。

問、今神は諸佛本有の理體と云ひ、又三千界の主と云ふ、其の義如何。

答、共に爾なり。先ず一州を建立するに須弥を以て中央に置く。此の寶山は則ち神の一體なり。梵天・帝釈乃至三十三天等、皆此の神徳に依りて住せしむ。又彼の諸天とは眷属圍遶の義なり。深意を以て之を見るに彼の須弥山は金剛不壊法身大日也。諸天とは變化(変化身。仏が衆生を救うために、姿を変えて現した身、釈尊)等流身(動物や色々なすがたを現して導く仏さまで、「化身」のこと)也。此の義を以て神明を奉祭する時、必ず八人神女(やほとめ)を用ふ事は、八山八海、須弥山を圍遶するの義なり。須弥は四寶所成の山、餘の八(正しくは須弥山の他には七山のみ)は只だ一寶を宰る山なり。合して五峯と云ふ(須弥山の四寶と余の七山の一寶をあわせて五寶)。此の如く、九山八海等、大鐵圍山を以て之を圍繞す。九山は九尊(胎蔵曼荼羅の中台八葉院の九尊)を胎し、八海は八葉(胎蔵曼荼羅の中台八葉蓮華)、五峯は五智(法界体性智、大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智)也。猶満意を以て之を解すべきなり。然る間、本有の理とも云ひ大千界主とも云ふ也。

 

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