福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

金山穆韶師の「仏教における個体の観念」・・・4

2017-05-15 | 霊魂論
大乗にては、いかなる場合においても間断なく相続し、衆生の身心及び此の世界持続の主体となる阿頼耶識等を明かす。しかして阿頼耶において、唯識家の阿頼耶と起信論に説く阿梨耶とその識体同じからざるもしかも阿頼耶を我等個別体の主体と見る点において相一致せるものである。即ち阿頼耶識を本とし、その上に煩悩、業、苦の三道の縁起即ち生死輪廻の義を明かすにおいては一である。


起信論の説によれば 阿梨耶とは主客未分の絶対の真心が初めて微細なる主客の細分別を起動せしをいう。即ち阿梨耶識とは、不生不滅の真心と生滅の妄法と和合して生起せし真妄和合不離の体なり。かかる真妄和合の阿梨耶識より、此の世界及び衆生の身心が生起する旨を明かす故、此の世界及び我等の身心をば、小乗教の如く、生滅の妄法とのみ説かずして、此の生滅世界の全体が不生不滅の真心なる玄旨を開演するも、而も其の教の宗要は、個別体の主体たる、真妄和合の阿梨耶を滅して、絶対の真心に還源し、帰入するにあり。すなわち個別体を絶対の真心に帰没せしむるを解脱の要道となす。

なほ小乗と大乗と対比して釈せば、小乗は六識を本として生死流転を明かし無常生滅の世界を厭離し、身心両つながら寂滅に帰せる涅槃に到達する道を説き、大乗は生滅無常の世界の当体そのまま、因縁生無自生寂滅空の涅槃也、無相の真心なりとし、無相の一心を観じ、真妄和合の阿梨耶を滅して、無相の真心に帰するを真解脱となす。

 即ち小乗は個人格の空滅に帰せる涅槃を理想とし、大乗は個別体をして絶対の真心に帰する道を明かすとの異あるも、而も解脱涅槃の真境に個体の存続を明かさざるは一なり。
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