福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

金山穆韶師の「仏教における個体の観念」・・・67

2017-07-17 | 霊魂論

即ち純一無雑、凡聖一如の秘観に住し、而も無上如来の妙果を欣求し、無上の理想を追求し努力するうちに、自性の本覚の体性が顕現せらるるのである、如来自証の大覚の体が開顕せらるるのである。

自心と仏心と衆生心の三心は平等にして、遍法界体なるが故に、発心の最初に無心無念の無相観に住する時、生死の生たる妄我を離れ、自心の真我体を剋証すると同時に、如来金剛の身に同じ如来常住の生を得するのである。これを菩提心為因と云ふ.

この菩提心為因の自証自覚を益々堅固ならしめんがために、大悲為根の行を修す。この大慈悲の行はこれ發菩提心の自覚を堅固ならしむるとともに、この行はこれ自心自覚の体性の如実の顕現である。

所謂従因至果の相が、即従果向因の如来の内証の開顕である。以上の如く発心と行とに依り、自心の真自覚の体性の如実に開顕せらるる萬徳開顕の境地を方便為究竟と云ふ。三句の中の方便究竟位は五転の菩提、涅槃、方便為究竟に當りこれ自の法界三昧を三世常恒に示現せる佛果究竟の位なるが、これを衆生よりみれば十方法界に三無尽荘厳を奮迅示現し、化他の妙用窮まりなき神変加持の妙体である。

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