円覚経(偽経)に「菩薩成仏の時、生死長夜の境界は昨夜の夢の如しと知りて、はじめて一切衆生は本覚成仏と覚る(菩薩がお覚りになって生死に迷ていたのは昨夜の夢のようだと覚るとき一切衆生は本来の成仏の姿をあらわす)。」と説き、中陰経には「一佛成道、観見法界、草木国土、悉皆成仏(一人でも覚った者がでて、法界を観ると草木国土までも成仏する)」とあるが、これらは始覚独佛還同本覚の理性一味の談(顕教で説く、修行によりて得る覚りの世界であって)本有自然覚の智ではない(本来衆生は成仏しているという密教の見地からの智ではない。)。
覚自心本不生の位は毘盧遮那成道の位にして、心自ら心を証し、心自ら心を覚るという。・・およそ会いやすくして成仏しがたきは顕教、会い難くして成仏しやすきは密教なり。「一見阿字、五逆消滅、真言得果、即身成仏(阿字を一度でも見れば五逆という重罪が消滅する。真言に依れば即身成仏する。)」と説くがごときは真言の正しい教えに利根の人があった時のことを言ったもの。
覚自心本不生の位は毘盧遮那成道の位にして、心自ら心を証し、心自ら心を覚るという。・・およそ会いやすくして成仏しがたきは顕教、会い難くして成仏しやすきは密教なり。「一見阿字、五逆消滅、真言得果、即身成仏(阿字を一度でも見れば五逆という重罪が消滅する。真言に依れば即身成仏する。)」と説くがごときは真言の正しい教えに利根の人があった時のことを言ったもの。