宝亀6年3月14日(775年4月22日)は、中将姫遷化の日とされます。
・中将姫和讃です。
中将姫和讃
[抑(そもそも)当麻(たえま)の曼荼羅の 其の濫觴をたづぬれば/天平宝字のころとかや 豊成郷のおんむすめ/中将姫と申ししは 容顔いともうるわしく/十三歳の華の春 名も遠近に聞へけり/ここに継母のねたみにて なれし屋かたを出でたまい/はるばる紀の路に送られて 三年有田の雲雀山/忠義にあつき春時が はぐくみ受けて身をおさめ/日夜称名おこたらず 称讃経を書き給う/不思議に父子対面し なみだのふちの硯り水/明けて十五のおん年に 都にかへり給いけり/十有七のおん年に 深く出家をこころざし/やがて当麻の寺に入り 名をも法如と改めり/六月中の五日より まことのみだをおがまんと/勇猛精進一心に 願いを込て祈りけり/たちまち浄土の阿弥陀仏 老尼の姿を示現して
蓮の糸を染井戸の 水は五色にわかつなり/左脇の大士観世音また織姫とあらわれて/一丈五尺の曼荼羅を 一夜三時に織り給う/それよりこのかた信念も いよいよ深くすすみ行き/浄土曼荼羅御絵相は 観経所説の心なり/二十九歳のなかの春 大往生をとげたまう/一度拝する輩がらは みな極楽へ往生す]