「八千代町 (茨城県)の伝説と昔話」に「香取様と光明真言」と云う話がありました。抜書きしておきます。
「 芦ケ谷舟戸にある香取神社は,古くから戦いの神,豊作の神として村人のあつい信仰を集めています。こんもり茂る鎮守の森に囲まれたお社を,人々は親しみをこめて「香取様」と呼んでいます。さてこの香取様にはこんな不思議な言い伝えが残っています。
むかしこのあたりがまだ芦津江と呼ばれていた頃のこと,飯沼のほとりに太郎兵衛というたいそう親孝行な若者が年老いた両親とともに住んでいました。
その日の食べ物にも困るほどまずしい暮らしをしていましたが,親子はたいそう信心深く,朝夕神仏への勤行は欠かしたことがありません。
「おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まにはんどま じんばら はらばりたや うん」
光明真言のお題目を親子は飽きることなく唱えていました。貧しくとも心は明るく,毎日を神仏への感謝の気持ちで過ごしておりました。こんな太郎兵衛でしたが,ひとつだけ悩みがありました。それはこの年になってもお嫁さんをもらえないことでした。ひどい貧乏がたたってのことでしたから仕方がありませんでしたが,親孝行の太郎兵衛はなんとかして年老いた両親を安心させてやりたいと思っていたのです。
そこで太郎兵衛は香取様に願をかけるため,毎日お社に足を運び始めました。
ある晩のこと,不思議なことには太郎兵衛の枕元に香取様がお立ちになられました。そしてこう告げたのです。
「太郎兵衛よ。そなたの願いは聞きとどけた。そなたには前世から約束した娘がいる。その娘とは庄屋のお八重じゃ。」
そこまで聞いて太郎兵衛はあわてて飛び起きました。夢うつつの中,太郎兵衛はすぐ悲嘆にくれました。よりによって庄屋の娘のお八重とは。そりゃあんまりだ。身分が違いすぎるじゃねえか。しかたなくとぼとぼと庄屋の家をめざして歩き始めた太郎兵衛は,屋敷の前までたどりついて中のただならぬ気配を感じ取りました。なんと一人娘のお八重が,もちをのどにつまらせて息を引き取ってしまったのでした。
「なんて殺生な。ようやく前世からの契りを結んだ娘とこうしてめぐり会えたのに,口もきけずに死んじまうなんて。そりゃあんまりだ。」涙でくしゃくしゃになりながらのろのろと門をくぐった太郎兵衛を,泣きはらした庄屋夫婦が目にとめました。日頃から信心深い太郎兵衛をよく知っていた庄屋は,娘の供養にと特別お八重の枕元に案内してくれました。
香取様が教えてくれた娘と,こんな形で巡り会うとは。太郎兵衛は涙をぼろぼろこぼしながら静かに「オンナーボキャーベーロ」と光明真言を唱え始めました。一心不乱にお題目を唱える太郎兵衛のいかつい右手が,しばらくして横たわるお八重のお腹の上を二三度かざしました。するとそのとたん,なんとそれまで固く閉ざしていたお八重の口元から「ううー」という声が漏れたではありませんか。一心不乱の太郎兵衛は気づきませんでしたが,その様子を見た庄屋夫婦はびっくり仰天。「八重が,八重が息をふきかえしたぞ。」と腰をぬかさんばかりに驚きました。太郎兵衛のかざす右手がお八重の腹をよこぎるたびに,八重の顔には赤みがさしてきました。やがてお八重は静かに目を開けました。そのあまりの不思議な出来事に一同は大喜びです。
そしてまもなく太郎兵衛とお八重はめでたく祝言をあげました。香取様のお告げを聞いた庄屋が,特別二人の結婚を許したのです。太郎兵衛三十歳,お八重十九歳,合わせて四十九歳の夫婦でした。
さてその後芦ケ谷地域では春と秋の二回,光明真言を唱える「米四合」と呼ばれる観音講が開かれるようになりました。女,子どもがめいめい食べ物を持ち寄って光明真言を1017回も皆で唱えるこの集まりで,人々は「四十九餅」という餅を本尊に供えます。この四十九とは,遠い昔香取様のご加護によって結ばれた太郎兵衛,お八重夫婦に由来しているということです。
ところで,あの時なぜお八重は急に息を吹き返したのでしょう。実は光明真言を唱えていた太郎兵衛の右手は,知らず知らずのうちに八重のふくよかな乳房をくりかえし強くさすっていたのです。それがいわゆる「心臓マッサージ」となり,八重の命をよみがえらせたのでした。いずれにしてもこれも香取様と光明真言のおかげと言えるしょう。」
「 芦ケ谷舟戸にある香取神社は,古くから戦いの神,豊作の神として村人のあつい信仰を集めています。こんもり茂る鎮守の森に囲まれたお社を,人々は親しみをこめて「香取様」と呼んでいます。さてこの香取様にはこんな不思議な言い伝えが残っています。
むかしこのあたりがまだ芦津江と呼ばれていた頃のこと,飯沼のほとりに太郎兵衛というたいそう親孝行な若者が年老いた両親とともに住んでいました。
その日の食べ物にも困るほどまずしい暮らしをしていましたが,親子はたいそう信心深く,朝夕神仏への勤行は欠かしたことがありません。
「おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まにはんどま じんばら はらばりたや うん」
光明真言のお題目を親子は飽きることなく唱えていました。貧しくとも心は明るく,毎日を神仏への感謝の気持ちで過ごしておりました。こんな太郎兵衛でしたが,ひとつだけ悩みがありました。それはこの年になってもお嫁さんをもらえないことでした。ひどい貧乏がたたってのことでしたから仕方がありませんでしたが,親孝行の太郎兵衛はなんとかして年老いた両親を安心させてやりたいと思っていたのです。
そこで太郎兵衛は香取様に願をかけるため,毎日お社に足を運び始めました。
ある晩のこと,不思議なことには太郎兵衛の枕元に香取様がお立ちになられました。そしてこう告げたのです。
「太郎兵衛よ。そなたの願いは聞きとどけた。そなたには前世から約束した娘がいる。その娘とは庄屋のお八重じゃ。」
そこまで聞いて太郎兵衛はあわてて飛び起きました。夢うつつの中,太郎兵衛はすぐ悲嘆にくれました。よりによって庄屋の娘のお八重とは。そりゃあんまりだ。身分が違いすぎるじゃねえか。しかたなくとぼとぼと庄屋の家をめざして歩き始めた太郎兵衛は,屋敷の前までたどりついて中のただならぬ気配を感じ取りました。なんと一人娘のお八重が,もちをのどにつまらせて息を引き取ってしまったのでした。
「なんて殺生な。ようやく前世からの契りを結んだ娘とこうしてめぐり会えたのに,口もきけずに死んじまうなんて。そりゃあんまりだ。」涙でくしゃくしゃになりながらのろのろと門をくぐった太郎兵衛を,泣きはらした庄屋夫婦が目にとめました。日頃から信心深い太郎兵衛をよく知っていた庄屋は,娘の供養にと特別お八重の枕元に案内してくれました。
香取様が教えてくれた娘と,こんな形で巡り会うとは。太郎兵衛は涙をぼろぼろこぼしながら静かに「オンナーボキャーベーロ」と光明真言を唱え始めました。一心不乱にお題目を唱える太郎兵衛のいかつい右手が,しばらくして横たわるお八重のお腹の上を二三度かざしました。するとそのとたん,なんとそれまで固く閉ざしていたお八重の口元から「ううー」という声が漏れたではありませんか。一心不乱の太郎兵衛は気づきませんでしたが,その様子を見た庄屋夫婦はびっくり仰天。「八重が,八重が息をふきかえしたぞ。」と腰をぬかさんばかりに驚きました。太郎兵衛のかざす右手がお八重の腹をよこぎるたびに,八重の顔には赤みがさしてきました。やがてお八重は静かに目を開けました。そのあまりの不思議な出来事に一同は大喜びです。
そしてまもなく太郎兵衛とお八重はめでたく祝言をあげました。香取様のお告げを聞いた庄屋が,特別二人の結婚を許したのです。太郎兵衛三十歳,お八重十九歳,合わせて四十九歳の夫婦でした。
さてその後芦ケ谷地域では春と秋の二回,光明真言を唱える「米四合」と呼ばれる観音講が開かれるようになりました。女,子どもがめいめい食べ物を持ち寄って光明真言を1017回も皆で唱えるこの集まりで,人々は「四十九餅」という餅を本尊に供えます。この四十九とは,遠い昔香取様のご加護によって結ばれた太郎兵衛,お八重夫婦に由来しているということです。
ところで,あの時なぜお八重は急に息を吹き返したのでしょう。実は光明真言を唱えていた太郎兵衛の右手は,知らず知らずのうちに八重のふくよかな乳房をくりかえし強くさすっていたのです。それがいわゆる「心臓マッサージ」となり,八重の命をよみがえらせたのでした。いずれにしてもこれも香取様と光明真言のおかげと言えるしょう。」