福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

「元慶寺の鐘銘一首幷序(菅家文章)」

2023-05-08 | 光明真言の功徳

「元慶寺の鐘銘一首幷序(菅家文章)」

此の寺の此の鐘有る、弘誓甚だ深し。至心等しきこと无く、元胎願を発す。其の人の八万蔵を開くに遇ふ。九乳誠を翹(はげま)し、彼の力の三界に及ばむことを待つ。是故に日融内に應じ、霜氣外に催す。皇帝馭(おさめたまふ)暦の四歳己亥、月庚午を建つ。八日丁酉(元慶三年五月八日)、金火事を用ひ、治鋳功を施す。禅器を謹む也。梵音を唱ふる也。有縁行道の徒をして圭漏を窺ひて以て警誡を知らしめ、无明受苦の宅をして槌風を逐ひて以て菩提を證せしめんことを欲す。如是の功徳、思量すべからず。國土衆生 同じく大きに歓喜す。乃し勑ありて銘を勒して曰く

鳳暦限り无し、龍銜(天皇の詔)機あり。叡情一たび往く。凡識三たび歸る。念丹かくに発す。功翠微(緑の山)に成る。令辰(めでたい日)器備る。旁午(入り乱れる)として聲飛ぶ。虚楷(聲明の法要で僧侶が鐘を撞く場合、鐘を撞く態勢をとりながら、心の中でのみ鐘を撞く奏法がある。そして僧侶たちは、その鐘の<音響>を心の中で聴き、間をとりながら、儀式を進めていくのである。これを虚階という)より動く。漸稀に盛んなり。見聞踊躍す。幽顕庶幾す。恒沙界の満つ。大鐵圍に超へたり。累劫縛を離る、長夜扉を排す。應(ひびき)に合(かな)ふ。皆是のごとし。音を知る人、孰非(だれかそしらむ)。無礙の意を以て 彼の神威を施(ふるまは)む。

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