【苦聖諦】
・ 比丘たちよ、じつに、<これ>が、苦しみなる、聖なる真理である。 生も苦しみであり、老いも苦しみであり、病気も苦しみであり、死も苦しみである。愁・悲・苦・憂・悩も、苦しみである。
怨憎のものに会いかかわるのは、苦しみである。愛するものとの別離は、苦しみである。求めたものが得られないのも、苦しみである。要するに、五取蘊(人間を構成する五つの集まり)は、苦しみである。
【集聖諦】
・ 比丘たちよ、じつに、<これ>が、苦しみの原因なる、聖なる真理である。
再生をもたらし、喜びと貪りをともない、あちこちで歓喜に満たされる渇愛である。これは次のようなものである。欲の渇愛と有(生存)の渇愛と無有(生存のないこと)の渇愛である。
【滅聖諦】
・ 比丘たちよ、じつに、<これ>が、苦しみの滅なる、聖なる真理である。
その渇愛を残りなく離れ滅し、捨て、放棄して、解脱し、執着のないものとなることである。
【道聖諦】
・比丘たちよ、じつに、<これ>が、苦しみの滅に向かう道なる、聖なる真理である。
それは、じつに聖なる八つの道である。これは次のようなものである。正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。
・ 比丘たちよ、じつに、<これ>が、苦しみなる、聖なる真理である。 生も苦しみであり、老いも苦しみであり、病気も苦しみであり、死も苦しみである。愁・悲・苦・憂・悩も、苦しみである。
怨憎のものに会いかかわるのは、苦しみである。愛するものとの別離は、苦しみである。求めたものが得られないのも、苦しみである。要するに、五取蘊(人間を構成する五つの集まり)は、苦しみである。
【集聖諦】
・ 比丘たちよ、じつに、<これ>が、苦しみの原因なる、聖なる真理である。
再生をもたらし、喜びと貪りをともない、あちこちで歓喜に満たされる渇愛である。これは次のようなものである。欲の渇愛と有(生存)の渇愛と無有(生存のないこと)の渇愛である。
【滅聖諦】
・ 比丘たちよ、じつに、<これ>が、苦しみの滅なる、聖なる真理である。
その渇愛を残りなく離れ滅し、捨て、放棄して、解脱し、執着のないものとなることである。
【道聖諦】
・比丘たちよ、じつに、<これ>が、苦しみの滅に向かう道なる、聖なる真理である。
それは、じつに聖なる八つの道である。これは次のようなものである。正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。