福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

「神祇秘抄」・・7/22

2024-03-07 | 諸経

「神祇秘抄」・・7/22

七、大神宮秘所の事

先ず外宮に於いて岩屋有り、今の人高倉の岩屋と號す。高天二尺、廣さ一丈五尺、奥は二丈五尺の岩屋也。此の岩倉は三方に石を立て壁と為し、天井に八枚の廣石有り。造作の人を知らず云々。(高倉の岩屋は伊勢神宮外宮の南にある連山の総称。高倉山古墳があり、これは古墳時代後期の円墳で、墳丘の径が32m、高さが8mだが、墳丘に見合わない全長18.5m、高さ4.1mの両袖型の横穴式石室を持つ。)此の岩屋八萬四千の諸神来集給ひて、衆生の事業に依り善悪吉凶を計り給ふ在所云々。次に御供調進水の事、神殿より未申の方に當りて一寶殿あり。彼の水其の裏に在り。是は天二上尊(あめのふたのぼりのみこと。天牟羅雲命ともいう。太玉串を捧持して皇孫邇邇芸命に従って天降ったが、 神々が話し合ったところ、葦原中国は水がいまだ純ではなかった。そこで、天牟羅雲命が高天原へ上って伝えたところ、 天照大御神は天忍石長井之水を八杯玉鋺に入れ「この水をもって食国に降り、 八盛を皇大神の御饌料とし、八盛を皇孫の御飯の材とし、残りを天忍石水といって 食国の水の上に注入し混和して朝夕の御膳の料とせよ。また従って降りた神々にも飲ませよ」と云った。 天牟羅雲命はこれを以って降り皇孫に奉告した。この時、皇孫は天牟羅雲命にどの道を上って行ったのかお聞きになり、 天牟羅雲命は、大橋は皇孫の道なので、私は後の小橋を上りましたと答えた。 皇孫は天牟羅雲命に天二上命(あめのふたのぼりのみこと)・後小橋命(のちのおばしのみこと)と二つの別名を授けた。)天上より取り下し給へる水也。則ち彼の神體也。次に内宮の鏡宮とは御裳濯河(伊勢神宮の内宮の神域を流れる五十鈴川の別名。 斎宮の倭姫命が、この川で御裳を洗い清めたという故事から、この名がある。)の流れ、鹿海寺(かのめでら・不詳)と云の在所に之在り。彼寺より東方に當る。又山川流出し御裳濯川に合す、御裳濯川より南角に一の大石自然出生たり。其の廻りは田也。此の石上に松一村(一叢のこと)之在り。御裳濯川を覆ふ。其の松の下、大石上に一面の鏡在す。神の一體云々。末代に及て此の鏡次第に闕減すべしと云々。近来半分餘減ず云々。彼の山より川の北、御裳濯川の東に一小山有り。小朝熊山と名く。山の上に鎮守有り。小朝熊明神と名く。其の鎮守の傍に社殿を造り、彼鏡を安置奉る。彼鏡彼所を肯はざるの故に、卜せしむるに自然に御本石上に還る。此の如くすること両三度云々。不思議表示の奇瑞なり。

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 祈り続けると不思議がおこる | トップ | 我が国最初の重症心身障害児... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

諸経」カテゴリの最新記事