雲の空中に起滅する。唯風に従て自ら自由の分ない。面白きことじゃ。草木の地上に栄枯ある。ただ風日霜露に従て自ら自由の分ない。面白きことじゃ。眼が自ら眼をみることはならぬ。色に対して眼の用がある。耳が自ら耳ならぬ。聲に対して耳の用がある。鼻が自ら鼻なるものではない。香に対して鼻の用がある。舌が自ら舌を味へぬ。外の五味に對して舌の用がある。鼻が自ら觸れぬ。そとの觸境に對して身の用がある。
悉く唯衆縁和合のみにて。自ら自由の分なきじゃ。心が自ら心ならぬ。外の善悪邪正・是非得失に對して心の用がある。悉くただ衆縁和合のみにて其實體なく。その主宰なく。
朝より暮に至まで。ただ業相に役使せられて。自ら自由の分なし。生より死に至るまで。業相に役使せられて。自ら自由の分なし。面白きことじゃ。
経論の中に、無色界の衆生は此山林土田の中に在れ。常に虚空じゃとある。餓鬼趣の衆生は此山川池沼みな大火聚を見るとある。維摩経に身子の見るところは草木瓦礫。螺髻梵王の見るところは七寶荘厳とある。おもしろきことじゃ。(維摩経・佛国品に「その時、螺髻梵王、舍利弗に語らく、『この意を作して、この仏土を謂て、もつて不浄と為すことなかれ。所以何ん。我、釈迦牟尼仏の土を見るに、清浄なること、譬えば、自在天宮の如し』と。)
悉く唯衆縁和合のみにて。自ら自由の分なきじゃ。心が自ら心ならぬ。外の善悪邪正・是非得失に對して心の用がある。悉くただ衆縁和合のみにて其實體なく。その主宰なく。
朝より暮に至まで。ただ業相に役使せられて。自ら自由の分なし。生より死に至るまで。業相に役使せられて。自ら自由の分なし。面白きことじゃ。
経論の中に、無色界の衆生は此山林土田の中に在れ。常に虚空じゃとある。餓鬼趣の衆生は此山川池沼みな大火聚を見るとある。維摩経に身子の見るところは草木瓦礫。螺髻梵王の見るところは七寶荘厳とある。おもしろきことじゃ。(維摩経・佛国品に「その時、螺髻梵王、舍利弗に語らく、『この意を作して、この仏土を謂て、もつて不浄と為すことなかれ。所以何ん。我、釈迦牟尼仏の土を見るに、清浄なること、譬えば、自在天宮の如し』と。)