福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

22日は聖徳太子の日です

2010-07-22 | 法話
・22日は聖徳太子の日です。太子は推古天皇30年(622年)妃・膳大郎女が2月21日に没した後を追うようにして翌22日、薨去されました。

・聖徳太子ゆかりの広隆寺・法隆寺では3月22日、四天王寺等では4月22日に聖徳太子の遺徳を偲ぶ法会が行われているようです。

・太子は自ら『三経義疏』を著し、十七条憲法では「二に曰く、篤(あつ)く三宝を敬へ。三宝はとは仏(ほとけ)・法(のり)・僧(ほうし)なり。則ち四生の終帰、万国の禁宗なり。はなはだ悪しきもの少なし。よく教えうるをもって従う。それ三宝に帰りまつらずば、何をもってか柱かるを直さん。」とされ日本国の基盤として佛教を置かれました。

・御真言は
1、如意輪観世音菩薩御真言「オン・バラダ・ハンドメイ・ウン」(聖徳太子は如意輪観世音を本地とするため。オン・ハンドメイ・シンダマニ・ジンバラ・ウンも可。)
に加えて
2、「南無帰命頂礼聖徳太子救世(ぐぜ)菩薩」」です。

・聖徳太子ゆかりの寺は多く、
四天王寺、法隆寺、中宮寺、橘寺、広隆寺、法起寺、葛木寺は『上宮聖徳法王帝説』等で聖徳太子が創建の七大寺と称され、叡福寺、野中寺、大聖勝軍寺はそれぞれ上之太子、中之太子、下之太子と呼ばれています。
叡福寺は師僧の寺でもあったのでおまいりしたことがありますが、師僧は「ここは三骨一廟といわれている」と説明してくださいました。丘陵を利用した円墳で、中央正面に間人大妃、その前面東側に、太子、西側に菩岐々美郎女の墓が並べられています。この三骨一廟の思想は、母妃を阿弥陀、太子を救世観音、妃を勢至菩薩になぞらえているということでした。

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