今日は天神様の日なので近くの天神様にお参りに行きました。ここは軍鶏や鳩が多く当方も時々餌をやっています。今日も古いパンをも持参してお参りの後近くの鳩の群れにばら撒きました。よく見ると鳩の群れも中でいろいろ違いがあります。必ずやせた鳩がいるのです。こういう鳩は他の鳩の様に撒かれる餌の方角にあわせて勢いよく飛び回る等ということはしません。じっと一所で立っています。当方は可哀そうになってそのひ弱そうな鳩にむかってパンくずを多めに投げてやります。それでもよほど近くに落ちてきたパンくずで他の鳩に取られなかったものに限りやっとたべられるという状態です。軍鶏の中にもこういう鳥がいます。他の鶏のように餌を取り合うのではなく最初からエサ取り競争はあきらめてたまたま自分の近くにきたパンくずをすこし啄むくらいです。なにか人間世界をおもわせるものがありやるせなくなりますます。こういうひ弱な鳥たちも自分の責任ではないのにこういう弱者に生まれついて餌をすこししか取れないでいるのです。地獄餓鬼畜生といいますが、畜生の中にもさらに弱者があることに言い知れない恐ろしさを感じます。しかしこういう弱者(弱鳥)も天の恵みを受けてしっかり命を繋いできていることも確かです。人間をこれらの鳥の世界に置き換えると人間の弱者も天からなにか弱点以を補強するためになにかの恵みを受けているのではないかと思えました。鳥たちに自我意識があるかどうかは分かりませんが、人間から見ると考させられることのおおい光景です。