福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

仏の境涯とはなにか?

2021-07-26 | 諸経

「仏の境涯とはなにか?
」「仏の深い境涯は、あたかも虚空のように広大で、たとえ一切の衆生がそこに入っても、真実には、入らないのとおなじである。その境涯は、ただ仏のみが知っておられる。」

以下、華厳経・明難品・第十段落「仏境界甚深」の項の和訳と原文。

 第十に、もろもろの菩薩たちは、文殊菩薩に問うていうに、
「仏子よ、わたしたちの会得しているところは、みなそれぞれ説きました。どうか仏子よ、あなたは深く弁舌を極めておられるので次の問にお答えいただきたい。仏の境涯とはなにか。仏の境涯に入る因とはなにか、どうしたらそこへはいれるか、また、どうしたらその境涯を知ることができるか、仏の境涯の救済とはなにか、仏の境涯の随順智(涅槃へと向かう智慧)とは何か、仏の境涯の随順法(涅槃へと向かう法)とは何か、仏の境涯の分別智とは何か、仏の境涯を識るとは何か、決定して仏の境涯を知るとは何か、仏の境涯を照すとは何か、仏の境涯の広大さとは何か?」
 そのとき、文殊菩薩は、つぎのように答える。
「如来の深い境涯は、あたかも虚空のように広大で、たとえ一切の衆生がそこに入っても、真実には、入らないのとおなじである。
 その境涯の原因は、ただ仏のみが知っておられる。無量劫に説明しても、おそらく説きつくすことはできないであろう。衆生に随順したまうが故にあまねく諸々の世界に入りたまうもその智慧は常に寂然として世の中の見る所とは等しくない。もろもろの群生を度脱するが故にその心智に随って宣暢して極みなく説きひろめたまう。これはただ仏のみの境涯である。
如来の一切智は三世にわたって障碍なく諸佛の微妙の境涯はすべて虚空のようである。法界は一つであるが衆生に随順して説きたまうゆえに様々に見える。もし具体的に知りたいと思ってもそれはだた仏ばかりが知ることのできる境涯である。一切諸々の世間のあらゆる無量の衆生の音量を時に随って悉く了知したまうがその実は分別したまわない。識のよく識るところではない。また心の境涯でもない。自性の真に清浄なる所以を能く諸々の衆生に示したまう。業でもなく煩悩でもなく物もなく住所でもなく照らすこともなく動作もなく平等に世間に行じたまう。あらゆる衆生の心はあまねく三世のうちにある。如来は一念において一切のものに明達したまう。」

そのとき、仏の神通力によって、この娑婆世界における一切衆生の行ずる所の法を、行ずるところの業を、世間の行を、身に随って行ずる所を、根に随って行ずる所を、その行業に随って生きるところを、持戒・破戒・説法・果報を見た。此の世界のあらゆることを見たように東方百千億世界、不可量、不可数、不可思議、不可称、無等無辺、無分斉、不可説、虚空法界に等しい一切の世界ないし説法・果報を同様に一つ残さず見ることができた。南西北方思維上下もまた同じ。



原文・華厳経・明難品・第十段落仏境界甚深の項
爾時、諸菩薩は文殊師利に謂て言く、「佛子よ、我等の解る所は各各已に説けり。仁者は辯才深く入る。次に應に敷演すべし。何等か是れ佛の境界、何等か是れ佛の境界の因、何等か是れ佛の境界の所入、何等か是れ佛境界の所度、何等か是れ佛境界の隨順知、何等か是れ佛境界の隨順法、何等か是れ佛境界の分別知、何等か是れ佛の境界を識る、何等か是れ決定して佛境界を知る、何等か是れ佛境界を照す、何等か是れ佛境界を廣む。」
爾時、文殊師利、偈を以て答て曰く
「如來の深き境界は 其量は虚空に齊しく
一切の衆生が入るも 眞實に所入無し。
如來の境界の因は 唯だ佛のみ能く分別したまふ。
自餘は無量劫にして 演説すとも盡す可からず。
衆生に隨順するが故に 普く諸世間に入るも
智慧常に寂然として 世の所見に同じからず。
諸の群生を度脱するに其の心智に隨順して
宣暢して窮盡すること無し。 唯是れ佛のみの境界なり。
如來の一切智は 三世に障礙無く
諸佛の妙境界は 皆悉く虚空の如し。
法界に異相無けれども 衆生に隨順して説く。
若し具に分別せんと欲せば 唯だ佛のみの境界なり。
一切諸世間の 無量衆の音聲を
隨時に悉く了知するも 其實は分別無し。
識の能く識る所に非ず 亦た心の境界にも非ず
自性は眞に清淨にして 能く諸の群生に示す。
業に非ず、煩惱に非ず、 寂滅にして無所住なり。
無明・無所行にして 平等にして世間に行ず。
一切衆生の心は 普く三世の中にあり。
如來は一念に於いて 一切に悉く明達したまふ。」

爾時、此娑婆世界の衆生は、佛神力の故に、此の佛刹の一切衆生の所行の法の如く、所行の業の如く、世間の行の如く、隨身の所行・隨根の所行・其行業に随って所生の處、持戒・毀禁・説法・果報を見る。如是の世界中の事、一切悉く見る。如是の東方百千億世界、不可量・不可數・不可思議・不可稱・無等無邊無分齊不可説の虚空法界等一切世界、乃至説法果報を一切悉く見る。南西北方四維上下亦復た如是なり。

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