蓮の花について・・3
もともと古代インドで蓮華は重要視されていたようです。「仏教大辞典」には「(ヒンズー教の経典」『マハーバーラタ』には天地開闢の始めヴィシュヌ天の臍より蓮華を生じ、華中に梵天ありて結跏趺坐し、万物を創造せりとなし、又ヴィシュヌおよびその妻ラクシュミーの表徴として蓮華を用いた」とあります。
しかし何といっても蓮は仏教の花です。
佛教では蓮華をいろいろの比喩をもって描いています。
まず、煩悩即菩提の比喩として出すものがあります。
「維摩経・佛道品第八」には、「(煩悩は覚りの種であるとして)譬えば、高原の陸地には蓮華は生ぜず、卑湿ひしつの汚泥にいましこの蓮華を生ずるが如し。」とあり、「妙法蓮華経従地涌出品第十五」にも「(菩薩は)世間法に染まらざるは蓮華の水にあるが如し」とあります。「この泥があればこそ咲け蓮の花(蕪村)」という歌もあります。
もともと古代インドで蓮華は重要視されていたようです。「仏教大辞典」には「(ヒンズー教の経典」『マハーバーラタ』には天地開闢の始めヴィシュヌ天の臍より蓮華を生じ、華中に梵天ありて結跏趺坐し、万物を創造せりとなし、又ヴィシュヌおよびその妻ラクシュミーの表徴として蓮華を用いた」とあります。
しかし何といっても蓮は仏教の花です。
佛教では蓮華をいろいろの比喩をもって描いています。
まず、煩悩即菩提の比喩として出すものがあります。
「維摩経・佛道品第八」には、「(煩悩は覚りの種であるとして)譬えば、高原の陸地には蓮華は生ぜず、卑湿ひしつの汚泥にいましこの蓮華を生ずるが如し。」とあり、「妙法蓮華経従地涌出品第十五」にも「(菩薩は)世間法に染まらざるは蓮華の水にあるが如し」とあります。「この泥があればこそ咲け蓮の花(蕪村)」という歌もあります。