華厳経巻七賢首菩薩第八の二
「・・(菩薩は)一切の衆生を度せんがための故に大光明を放って思議し難し、此の光明を以て群生を救う。
放つところの光明を善現と名ずく。若し衆生有りてこの光に遭はば彼は果報を獲ること量りあることなく、之に因りて無上道を究竟せん。・・
又、光明を放つあり、済度と名ずく、彼の光、一切の衆を覚悟し、當に無上の菩提心をおこして欲海の諸の群生を度脱せしむべし。・・
又、光明を放つあり、除愛と名ずく、彼の光一切の衆を覚悟して五欲の諸の渇愛を捨離し、解脱の甘露水を思楽せしむ。・・
又、光明を放つあり、歓喜と名ずく、彼の光一切の衆を覚悟し、歓喜して佛の菩提を愛楽し、発心して無師の宝を願い求めしむ。・・
又、光明を放つあり、愛楽と名ずく、彼の光一切の衆を覚悟し、心常に種の如来と無上の法宝と清浄の僧とを愛楽せしむ。・・
又、光明を放つあり、徳聚と名ずく、彼の光一切の衆を覚悟し、普く種々無量の施を行じ、此れを以て無上道を願い求めしむ。・・
又、光明を放つあり、徳聚と名ずく、彼の光一切の衆を覚悟し、、一法門に於いて一念のうちに悉く無量なる諸の法門を解らしむ。・・・・
又、光明を放つあり、無慳と名ずく、彼の光一切の衆を覚悟し、貪愛を除き、財宝は常有にあらずと解知し、悉く捨離して所着なからしむ。・・・・
又、光明を放つあり、転勝と名ずく、彼の懈怠の者を覚悟し、常に能く三種の業を勤修して、仏法僧を恭敬し供養せしむ。若し能く三種の業を勤修して、仏法僧を恭敬し供養せば、彼能く四魔の境を超出して速やかに無上なる佛の菩提を成ぜん。衆生を観化して精進せしめ、仏法僧を恭敬し供養して仏法の滅せんとするときに能く護持し、これによりて転勝の光を成ずることを得たり。・・・」
「・・(菩薩は)一切の衆生を度せんがための故に大光明を放って思議し難し、此の光明を以て群生を救う。
放つところの光明を善現と名ずく。若し衆生有りてこの光に遭はば彼は果報を獲ること量りあることなく、之に因りて無上道を究竟せん。・・
又、光明を放つあり、済度と名ずく、彼の光、一切の衆を覚悟し、當に無上の菩提心をおこして欲海の諸の群生を度脱せしむべし。・・
又、光明を放つあり、除愛と名ずく、彼の光一切の衆を覚悟して五欲の諸の渇愛を捨離し、解脱の甘露水を思楽せしむ。・・
又、光明を放つあり、歓喜と名ずく、彼の光一切の衆を覚悟し、歓喜して佛の菩提を愛楽し、発心して無師の宝を願い求めしむ。・・
又、光明を放つあり、愛楽と名ずく、彼の光一切の衆を覚悟し、心常に種の如来と無上の法宝と清浄の僧とを愛楽せしむ。・・
又、光明を放つあり、徳聚と名ずく、彼の光一切の衆を覚悟し、普く種々無量の施を行じ、此れを以て無上道を願い求めしむ。・・
又、光明を放つあり、徳聚と名ずく、彼の光一切の衆を覚悟し、、一法門に於いて一念のうちに悉く無量なる諸の法門を解らしむ。・・・・
又、光明を放つあり、無慳と名ずく、彼の光一切の衆を覚悟し、貪愛を除き、財宝は常有にあらずと解知し、悉く捨離して所着なからしむ。・・・・
又、光明を放つあり、転勝と名ずく、彼の懈怠の者を覚悟し、常に能く三種の業を勤修して、仏法僧を恭敬し供養せしむ。若し能く三種の業を勤修して、仏法僧を恭敬し供養せば、彼能く四魔の境を超出して速やかに無上なる佛の菩提を成ぜん。衆生を観化して精進せしめ、仏法僧を恭敬し供養して仏法の滅せんとするときに能く護持し、これによりて転勝の光を成ずることを得たり。・・・」